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『男はつらいよ』に漂う偽善的な幸福感

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 (時間の有限性がもたらす感慨) 久しぶりに『男はつらいよ』を観た。初期の作品だったが、作中で寅さんが自分のことを「若造」と表現する場面があった。 しかし、渥美清さんはすでに30年以上前に亡くなっている。映像の中では生き生きと動き回っているものの、その作品に出演している俳優の多くはすでにこの世にいない。その事実を思うと、あらためて時間の流れの儚さを感じてしまう。 人は誰しも平等に年を重ねる。その事実を忘れてはならない。何もしなくても時間は過ぎていく。 映画はひとたび完成すれば半永久的に残り、そこには永遠に若々しい俳優たちの姿が映し出される。しかし現実では、時間は無情にも流れ続ける。気がつけば半世紀という歳月が過ぎ、多くの出演者がこの世を去っている。さらに一世紀も経てば、この作品に関わった人々は誰一人として存命ではないだろう。 その頃には作品の世界は、映像や書物などのアーカイブの中でのみ語られることになる。映像の中では最大限の魅力を放っていても、その本人はもはや地球上には存在しない。その対比に、不思議な感慨を覚えるのである。 (寅さんという理想化された人物像) さて、『男はつらいよ』で描かれる寅さんは、どこまでも人情味があり、周囲から愛される人気者として描かれている。この作品では庶民の温かさや人情の尊さが一貫して強調されている。 しかし、それはあくまで映画の世界だから成立する側面もあるのではないだろうか。 正直なところ、もし自分の親戚に寅さんのような人物がいたなら、私は付き合いに苦労すると思う。場合によっては、親戚であることを歓迎できないかもしれない。 現実社会では、人情だけで生活は成り立たない。生活費、仕事、責任、人間関係など、さまざまな問題と向き合わなければならない。そこには映画ほど温かくも単純でもない現実が存在している。 また、登場人物たちは総じて純粋で善良に描かれている。そこには理想化された共同体や人間関係があり、現実社会に存在する複雑な利害対立や価値観の衝突はあまり描かれない。 だからこそ私は、この作品にある種の「理想化された人情世界」を感じるのである。 (映画に潜む非日常の魅力) もっとも、映画やドラマ、小説とは本来そういうものなのかもしれない。 現実にはなかなか存在しない人物や状況だからこそ、人はそこに魅力を感じる。もし現実をそのまま描くだけであ...

短編小説 昭和のモテモテ男の2025年のタイムスリップ その2

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 竜二がこの未知なる2025年に降り立ってから、早くも半年が経過していた。 かつて銀座を肩で風を切って歩いていた「昭和の帝王」の姿は、今や見る影もない。テカテカのポマードで固めた髪は、美容室で教わった「マッシュウルフ」へと姿を変え、ヘアオイルで適度なツヤと束感が出されている。肩パッドの入った威圧的なスーツは捨て、肌馴染みの良いグレージュのオーバーサイズシャツにスラックスという、抜け感のあるファッションを見事に着こなしていた。 何より変わったのは、彼の「肌」である。 「男が顔に泥(クレイマスク)を塗るなど、腹切りものだ!」と最初は憤慨していた竜二だったが、今では化粧水、美容液、乳液の3ステップを朝晩欠かさない。ビタミンC誘導体の力により、タバコと夜遊びでくすんでいた肌は、驚くほどの透明感を取り戻していた。 「よし、今日も完璧だ」 洗面所の鏡に向かって、竜二はニヤリと……いや、かつてのニヒルな笑みではなく、口角を少しだけ上げる「爽やかな微笑み」の練習をしてから、家を出た。 カフェ店員・竜二の葛藤 生活費を稼ぎながら現代の若者の生態を学ぶため、竜二は表参道にあるお洒落なカフェでアルバイトを始めていた。最初は「いらっしゃいませ、子猫ちゃんたち」と客に声をかけ、店長からこっぴどく叱られたのも、今では良い思い出だ。 ある日の夕方。 シフトが一緒だった年下の女子大生アルバイト、結衣(ゆい)が、バックヤードで深いため息をついていた。どうやら、大学の人間関係と就職活動の板挟みでひどく落ち込んでいるらしい。 (……来た!) 竜二の内で、かつての昭和の血が騒いだ。 昔の彼なら、ここで迷わず結衣の肩を抱き寄せ、「バカな女だ、そんなちっぽけな悩み、俺が銀座のネオンごと忘れさせてやる」と強引に夜の街へ連れ出していたはずだ。それが「男らしさ」であり、女が求める「頼り甲斐」だと信じていたからだ。 しかし、竜二はグッとその衝動を飲み込んだ。 彼の脳裏に、現代の恋愛指南本で赤線を引いたページがフラッシュバックする。 『現代の女性が求めているのは、勝手な解決策の提示(マンスプレイニング)ではなく、ひたすら話を聞く【共感】である』 竜二は静かに深呼吸をすると、エスプレッソマシンで丁寧にカフェラテを淹れた。そして、そっと結衣の前にマグカップを置いた。 「結衣ちゃん、お疲れさん。……いや、お疲れ様。少...

短編小説 昭和のモテモテ男の2025年のタイムスリップ

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 1960年(昭和35年)。高度経済成長の足音が力強く響き始めた東京・銀座で、鳴海竜二を知らない女はいなかった。 撫で付けたポマードの妖しい艶、仕立ての良い細身のスーツ、そして少し斜に構えたニヒルな笑み。銀幕のスターを彷彿とさせる彼の風貌は、すれ違う女性たちが思わず足を止め、ため息をつくほどだった。 「竜ちゃん、次はどこへ連れて行ってくれるの?」 腕に絡みつく美しい女たちを適当にあしらいながら、竜二は無造作にキャメルの煙草に火をつける。男は黙って女を引っ張るもの。強引さこそが愛情の証であり、男の最大の魅力だった。「俺についてこい」の一言で、すべてが許された。彼は自分が世界の中心であり、女は皆、自分の前では可憐な花のように従順になるのが当然だと信じて疑わなかった。 しかし、行きつけの高級キャバレーの重厚な扉を開けた瞬間、激しい眩暈が竜二を襲った。視界がグニャリと歪み、極彩色のネオンの光が渦を巻く。次に目を開けたとき、彼は見知らぬ巨大なスクリーンの下――2025年の渋谷スクランブル交差点のど真ん中に立っていた。 絶望の幕開け 「なんだ、ここは……」 天を衝くようなガラス張りの巨大なビル群、行き交う人々は皆、手元の小さな光る板(スマートフォン)を熱心に見つめている。竜二は混乱しながらも、特有の自信だけは微塵も失っていなかった。 「どんな時代、どんな場所だろうと、俺の魅力は変わらないさ」 彼はポマードでカチカチに固めた髪を撫でつけ、自信に満ちた足取りで未知の街へと歩き出した。 しかし、異変はすぐに起きた。 歩き疲れてふらりと入った、ガラス張りの洒落たカフェでのことだ。竜二は足を組み、ポケットから使い込まれたジッポライターを取り出して、煙草に火をつけようとした。隣のテーブルには、今風の可愛らしい女性が二人座っている。竜二は彼女たちに向かって、かつて百発百中だった得意のニヒルなウインクを投げかけた。 「お嬢さんたち、俺の火、借りるかい?」 低く甘い声で囁いた瞬間、女性たちの顔が露骨に引きつった。 「え、嘘、キモ……」 「ちょっと、店員さん! ここで煙草吸おうとしてる人がいるんですけど!」 「え?」 飛んできた店員に「店内は全面禁煙です。あと、他のお客様のご迷惑になりますので」と冷たく言い放たれ、竜二は追い出されるように店を後にした。かつては煙をくゆらせる伏し目がちな横顔...

ローファイな東京(jazz)

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作者にとっては、東京の下町を舞台にしたようなローファイな音楽。画像を見ると、セブンイレブンの間取りが戦前を思わせる造りだったり、看板や提灯の日本語がいかにも「外国人が抱く日本のイメージ」だったりと興味深い。 日本人にはない視点だが、彼らはこうした昭和の面影が残る下町に惹かれるのだろう。ただ、こうした情景は地方都市では今も日常的に見られるものであり、必ずしも過剰に脚色されたステレオタイプというわけでもなさそうだ。   もし日本人が動画を作れば、表参道や渋谷といった「おしゃれな街角」を背景に選ぶだろう。自国の人と外国人では、同じテーマでも、視点が変われば映る世界はこれほどまでに変わるのだ。  

『ジョン・レノン 失われた週末』について

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 これはメイ・パンによる回想録であり、ジョン・レノンという人間を理解するうえで極めて重要な資料であることは間違いない。 これまで「失われた週末」は、主にオノ・ヨーコの視点、あるいは彼女のフィルターを通したジョンの言葉によって語られてきた。しかし、メイ・パンの視点から見えてくるのは、ジョン・レノンがいかに周囲の影響を受けやすく、関わる人々によってそのキャラクターがカメレオンのように変化するかという事実である。結論を言えば、この時期はジョンがビートルズ以前の「素の自分」に戻ることができた、ある種のモラトリアム期間であったのだろう。 もし、このままジョンの人生が終わっていたならば、彼の評価は「ビートルズの一員」という枠を出ることはなかったかもしれない。『イマジン』や『インスタント・カーマ』といった楽曲が再評価されることもなく、あくまでビートルズの文脈でのみ語られていた可能性がある。 これらの楽曲が今なお高く評価されているのは、ひとえにオノ・ヨーコの尽力によるものである。彼女のプロデュース能力と知性という栄養によって、ジョンは単なる一人のミュージシャンから「哲学者」という高みへと引き上げられたのだ。 メイ・パンと過ごした「失われた週末」のジョンは、知的な側面が影を潜め、仲間たちと酒やドラッグ、そしてセッションに明け暮れる日々に終始していた。それはまさに、剥き出しの「ロックンローラー」としての姿そのものであった。 しかし、ジョンは最終的にヨーコのもとへ戻り、再び自らの哲学的な側面を復活させることになる。オノ・ヨーコはその強烈な個性ゆえに世間の評価が分かれる人物ではあるが、彼女の持つ知性や芸術性、そして「ラブ&ピース」の精神を吸収したことで、ジョン・レノンが聖人として人類史にその名を刻んだことだけは間違いないであろう。

JAZZの似合う風景(Sam and VictorのVlog)

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 Sam and Victorというインフルエンサーの動画です。 まるで、このブログのテーマを映像化したようなVlogです。  この二人は、日本もお気に入りのようで日本各地を訪れて、おしゃれなトラベルVlogを投稿しています。

移ろいゆく香港の情景

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 私が初めて香港を訪れた90年代、日本と香港の間にはまだ大きな経済格差があった。 当時の香港といえば、古びたビルが林立し、街並みにはどこか猥雑なエネルギーが満ちていた。しかし、中国の台頭とともに香港は日本を凌ぐ物価の高い都市へと変貌を遂げ、かつての混沌とした雰囲気は影を潜めてしまった。 それでも、私はあの頃の「古い香港」が好きだった。 しばらく足が遠のいているため、今の香港はどうなっているのだろうと思っていたところ、一つの動画に出会った。そこには、比較的等身大の香港が映し出されていた。 だが、私の中に根付いている香港の魅力は、やはり「カイタック空港」や「九龍城」、そして夜を彩る鮮やかな「ネオン街」だ。街角に並ぶ怪しげなブランドの模造品さえも、あの街の活気の一部だった。  そんな古き良き香港は今や消え去り、気がつけば日本よりも物価が高く、一人当たりのGDPも日本を上回っている。 かつての視点で香港を語ることは、今の時代にはそぐわないのかもしれない。今や香港の人々が、贅沢に大枚を投じて日本旅行を楽しむ時代なのだから。

短編小説「創業家社長の追放」

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 加賀谷ホールディングスは、創業者・加賀谷正治が創業家の娘婿として事業を拡大し、一部上場企業へと育て上げた会社である。精密部品の製造を主力とし、堅実な経営で知られていた。しかし、その堅実さの裏返しとして、現場の声を吸い上げる“番頭”の存在が極めて大きい企業でもあった。  次の社長・加賀谷洋は、創業家の長男として大学卒業後に海外で経験を積み、五年前に帰国して社長に就任した。温厚な性格であるが、小さい頃から裕福な家庭で育ったせいか浮世離れしたところがあった。それが経営面での弱さとなり、会社の業績は何とか横ばいを這いつくばっていた。  正治は自分が亡くなる前に、専務・矢島義郎に教育係兼貢献になってもらう事を打診し、矢島も快く受け取った。高卒で入社し、叩き上げで工場長、事業部長を歴任した男だ。豪放磊落で口は悪いが面倒見がよく、「矢島のアニキ」と慕う社員も多い。だが、洋のコメンテータまがいの机上の判断に否がる事も少なく、取締役会でさえ洋の提案を「机上の空論だ」と切り捨てることもしばしばであった。そうしているうちに矢島は洋を見限るように、次第に会社の意思決定を自らの都合へとねじ曲げるようになった。  いつしか「専務の許可は取ったのか?」が社内の合言葉のようになり、社長への報告は専務を経由するのが当然となった。時には、社長に知らせぬまま取締役会の決議が進むことすらあった。稟議書には社長の印の前に専務の巨大な捺印が押され、社長が「もう少し検討を」と言えば、矢島は「洋の考えは甘すぎる」と笑い飛ばした。  就任当初こそ創業者を慕う腹心たちで構成されていた取締役会も、年度が変わるごとに矢島は自らの子飼いを次々と役員候補に推薦し、創業期からの役員たちは退任に追い込まれていった。いつしか会議で洋が発言しても賛同の声は弱く、最終的には矢島の案が“全会一致”で通るようになった。  ある夜、洋は父・正治の旧書斎に一人座っていた。壁には創業期の写真が飾られ、若き日の父と、壮年の矢島が肩を並べて写っている。矢島は、父にとって豊臣秀吉のような番頭であった。  正治は創業家の一人娘の婿として迎えられ、東京の名門国立大学機械工学科を卒業後、三菱重工で十数年設計エンジニアとして活躍していた。縁談は教授からの相談であり、会社を飛躍させるには技術力の向上と国立大学との共同研究が必要と考えられたためだった。  一方...

『孤独のグルメ』が描く「おひとり様」という桃源郷ドラマ『孤独のグルメ』は、主演・松重豊の好演により、長年にわたる人気番組となった。  本作はグルメ漫画を原作としているが、これほどまでに熱狂的な支持を得ている理由は、一人で食事を楽しむ「ボッチ飯」の姿を、ポジティブかつ魅力的に描き出している点にあるだろう。  現代では、生涯独身で過ごす人も珍しくなくなった。休日には一人で街へ出て、食事を済ませ、ささやかな買い物をして自宅へ戻る――。そんな日常を送る人々は、今や数えきれないほど存在する。  そうした人々にとって、この番組は「寂しいはずの外食」を「至福のエンターテインメント」へと昇華させてくれる存在なのだ。いわば、現代における「独食の作法」を解く教本とも呼べるドラマである。  「食堂で自分だけの世界に浸り、供される一皿一皿と真剣に向き合い、その美味を堪能する」。そこには、誰にも邪魔されない「ボッチの桃源郷」が立ち現れる。  自由と孤独を謳歌するその姿は、まさに現代という時代が求めていた理想像なのである。

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ドラマ『孤独のグルメ』は、主演・松重豊の好演により、長年にわたる人気番組となった。  本作はグルメ漫画を原作としているが、これほどまでに熱狂的な支持を得ている理由は、一人で食事を楽しむ「ボッチ飯」の姿を、ポジティブかつ魅力的に描き出している点にあるだろう。  現代では、生涯独身で過ごす人も珍しくなくなった。休日には一人で街へ出て、食事を済ませ、ささやかな買い物をして自宅へ戻る――。そんな日常を送る人々は、今や数えきれないほど存在する。  そうした人々にとって、この番組は「寂しいはずの外食」を「至福のエンターテインメント」へと昇華させてくれる存在なのだ。いわば、現代における「独食の作法」を解く教本とも呼べるドラマである。  「食堂で自分だけの世界に浸り、供される一皿一皿と真剣に向き合い、その美味を堪能する」。そこには、誰にも邪魔されない「ボッチの桃源郷」が立ち現れる。  自由と孤独を謳歌するその姿は、まさに現代という時代が求めていた理想像なのである。

労働者階級の英雄という「演目」 — 浜田省吾論

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  浜田省吾は、「労働者階級の日常」を鮮烈に描き出すことで、不動の地位を築いた稀有なアーティストである。同じく都会の若者を描いた佐野元春が、洗練された「シティ・ボーイ」の立ち位置であったのに対し、浜田が体現したのは、地方から上京してきた若者たちの泥臭いリアリティだ。慶應や青学といった華やかな都会の中流層とは一線を画し、四畳半のアパートで一人暮らしをしながら汗を流す、労働者階級の孤独と哀愁を漂わせることに成功した。 バブル期の「プロレタリア文学」 バブル前後の日本は「総中流社会」と呼ばれ、労働者階級と中流層の境界はまだ曖昧だった。貧乏学生が社会に出て、懸命に働くことで中流家庭を築くという物語が、まだ現実味を帯びていた時代である。 1980年代から90年代にかけて、浜田の歌は当時の浮かれた時代背景に乗り切れなかった若者たちにとっての「プロレタリア文学」として機能していた。彼の歌う挫折や葛藤は、消費社会の喧騒から取り残された者たちの聖域だったのである。 しかし21世紀に入り、社会の二極化が進行すると、かつての中流層はこうした世界観に共感しなくなっていく。階層が固定化され、一度足を踏み入れた「労働者の日常」からの脱出が困難になった現代において、かつての哀愁は切実なリアリズムへと変質した。今やこれらの楽曲は、アリスの『遠くで汽笛を聞きながら』と同様に、高度経済成長期の熱気と残像を伝える「古典」になりつつある。 巨大ビジネスとしての「ロック」 そもそもロックとは、労働者階級の音楽である。ジョン・レノンが自らの神格化に抗いながらも「労働者階級の英雄(Working Class Hero)」を演じ続けたように、人口の過半数を占めるこの層を熱狂させることは、音楽ビジネスにおいて極めて重要な戦略だ。この層の支持を得れば、ミュージシャンは巨万の富を築き、カリスマへと登り詰めることができる。 つまり、ミュージシャンが自由に自己表現をしているように見えても、その裏側には、大衆が求めるテーマを巧みに取り込ませるビジネス上の計算が働いている。カリスマ性もまた、マーケティングによって構築された高度な演出の一環なのだ。 浜田省吾もまた、莫大な資産を築いた成功者でありながら、ステージの上では今なお「負け組の労働者階級」の代弁者であり続ける。その虚構と現実の乖離こそが、大衆音楽という名のビジネス...

短編小説 寂寥(3回) 南国の楽園

  ノートの最初の方には、彼の華々しい記録が残っている。ノートに はたどたどしい言葉でかいているが、それを小説家に渡してリメイ クすれば、間違いなく映画化してもおかしくないほどの代物だ。  住人は日記の中で、普通の人では体験できないような、まるで映画 のワンシーンのような青春を送っていたようだ。管理人は、 その後住、悪臭漂う住人の部屋で興味津々と日記を読み始めた。 日記には、真夏の南国の出来事がつづられていた。場所は東南アジ アのとあるビーチ。その日は、炎天下の続く夏の日だった。 住人は、ホテル備え付けのプールのデッキチェアーに寝そべってい た。昨日はナイトクラブで朝まで酒を飲みまくって騒いだ。二日酔 いでクラクラする。涼しげな波の音と頭痛が交互に襲うような気分 だ。しかし、気が付くと9時なので朝食を食べにレストランに向か う。昨日の酔いを醒ますかのようにマンゴーの入ったトロピカルジ ュースを飲み干す。少し酔いが醒めてくるのと同時に朝の涼しさを 感じた。すると今度は生暖かい風が彼をいちめんにまとわりつく、 これこそ南国ならではの爽快さである。トーストをかじりながら、 昨夜のことを思い出そうとする。しかし、思い出すことができない 。余程吞み潰していたのであろうか。そうしていると事業仲間のチ ャンがやってきた。昨夜の自分の態度に少し怒っているようだ。で も思い出せない事は思い出せない。日記に張り付けられたチャンの 写真を見ると、遊び人風であるがなかなかの好男子であった。二人 は仕事仲間であり、悪友達でもあった。夜な夜な南国の酒場で羽目 を外していたことが日記から伺える。そばにある写真を見渡すとそ の写真に一緒に写っている女性はたくさんあり、 それらを数えていくと数十人は優に超えていた。その頃の住人は映 画俳優を思わせるほどの容姿であった。日記にはこれらは女性から 口どかれたと書かれている。住人の写真を見る限り、 それはまんざら誇張でなさそうだ。しかも、写真に写っている女性 は一定レベル以上の美貌の持ち主でもあった。住人と女性の移った 写真は広告に掲載されているような理想的な男女像のモデルと変わ らなかった。それだけでない写真の写り方から一定以上の関係をも っていたような写真も少なくない。これでは現世での極楽浄土では ないと管理人は興奮した。住人は妄想の世界のよう...

短編小節 隣の芝生

  彼は平凡な二流大学を卒業し、二流の会社に就職した。人一倍正義感が強く、何事にも真面目に取り組む。しかし、皮肉にも結果が伴わない。その実直さゆえに、彼は結果の出ない自分を過剰に責め、自己評価をどん底まで落としていた。客観的に見れば、彼は決して無能ではない。見方によっては世間一般の「中からやや上」に位置するだろう。しかし、彼は絶対的な自己価値を認められず、常に他人と比較しては、エリート層や成功者、自分より先に出世した同僚を羨んでは「自分は最低だ」という劣等感に苛まれていた。  「自分ばかりが貧乏くじを引いている」そんな思考はいつしか負け意識と不安の塊となり、彼の心を蝕んだ。全てを否定的に捉える「うつ状態」に陥った彼はある日、絶望の淵を彷徨うように公園の小さな森を歩いていた。池の水面に映る、不機嫌な自分の顔。その背後に、いつの間にか仙人のような老人が立っていた。「君の悩みを解決してあげよう。君のエネルギーを三段階上げてやろう」老人がそう告げた瞬間、景色が歪んだ。 第一の試練:富  気がつくと、三年の月日が流れていた。彼はネットビジネスで成功を収めた富裕層になっていた。 周囲にはポジティブな成功者ばかりが集まり、かつての友人のような愚痴や悪口を言う者はいない。だが、そこは安息の地ではなかった。慢心すれば競合に追い抜かれ、一瞬の油断が転落に繋がる。経営の重圧に心は休まる暇もなく、そのストレスを埋めるために月百万円の愛人を囲い、豪華な旅行を繰り返したが、虚しさは募るばかりだった。 タワーマンションの自室に帰っても、妻とは仮面夫婦。心の通わない「すました生活」があるだけだ。世間からは夢のような生活に見えるだろうが、実態は孤独な砂漠を一人歩いているのと変わらなかった。 第二の試練:名誉  次に彼は、会社の出世頭となっていた。だが、そこはアスリートのような仕事量と努力を強いられる修羅場だった。三百六十五日、ライバルを蹴落とすことだけを考え、脱落する恐怖に怯える日々。 その予感は最悪の形で当たった。次期役員に選ばれたのは、彼より能力の低い、専務の「太鼓持ち」だった。情実人事という社内政治の敗北。彼は不条理な世の仕組みを叩きつけられ、無能な上役の部下となった末に、子会社へ放出された。役員待遇とはいえ、魂が抜けたような抜け殻の人生だった。 第三の試練:愛  最後に、彼はスポーツ...

桑田佳祐の魅力を考える

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サザンオールスターズの魅力の根源は、青山学院大学(青学)を背景とした「学生バンド」としての空気感にあり、その世界観が多くの大学生の共感を集めてきた。代表曲「Ya Ya (あの時代を忘れない)」がリリースされた当時は、女子の大学進学率がまだ低かった時代である。男女共学の青学を舞台にした学生バンドの華やかな大学生活は、当時の若者たちにとって羨望の的であった。 もしこれが、早稲田・明治・法政といった当時の「男子校文化」の強い大学のバンドであったなら、同じ曲を歌ったとしても、世間の受け止め方は全く異なるものになっていただろう。 とはいえ、桑田が描く女性像は、青学出身者が抱かせるアッパーミドルな雰囲気とは一線を画す。そこには泥臭さがあり、決して良家の子女のような清廉潔白さはない。それは男性像も同様で、青学のイメージである「垢抜けて洗練された都会の男性」とは異なる。このギャップこそが、幅広いファン層を獲得できている要因だ。その源流は、母がスナックを経営しており、そこで働くホステスたちの人生を間近に見てきた経験にあるのではないか。だからこそ、桑田の描く人間像には独特の哀愁が漂っているのである。 そして、原由子の存在が極めて大きい。桑田の持つ「下世話」な部分を、彼女の存在や歌声が見事に中和している。いわば、女性ファンにも受け入れられる土壌を彼女が作っているのだ。もし原由子がいなければ、サザンは女性から敬遠され、一部の男性のみに支持されるバンドに留まっていた可能性が高い。 さらに、彼が「サザン」というバンドを大切にし続けている点も見逃せない。デビューから半世紀近くが経とうとしている今もなお、彼らの間には学生時代の延長のような雰囲気が漂っている。いつまでも仲間と和気あいあいと活動を続ける姿が、学生時代の自分を見失いかけている古中年以上のリスナーの心を揺さぶるのである。 結局のところ、桑田佳祐は決して天狗になることなく、周囲の人々を大切にすることで、結果として自分自身の評価を高めてきた。もし彼が原由子と離別したり、サザンを解散してソロ活動のみに専念したりしていたら、今のような国民的な存在にはなっていなかったであろう。人からの評価H自分の能力だけでなく、周りを大切にすることで回りまわって帰ってくるという側面は否定できないものである。

日本の悪いところ、良いところ

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南国愛おやじのyoutube で、マレーシアでの鉄道が予定通りの時間に動かない。そして、走行中にドアが半ドアになっていても、マレーシア人は何も気にしない。の動画にしています。  こういった細かな(?)ことにこだわらないマレーシア人に対し、ここまで緩いと私自身の顔がほころんでしまいます。これが日本なら、国土交通省から改善命令を下されるのは間違いなく、ドアが半ドアの状態で鉄道が走行したら鉄道会社の免許停止になるでしょう。  今の日本人には許容が欠けている。だから、生きづらさか充満している。さらに、ビジネスにおいては失敗を許さない事なかれ主義が蔓延っている。このため、AIやロボット等のトライ&エラーで進歩する産業では米国や中国の後塵を拝している。これだけ真面目にかかわらず国の競争力が年々低下している原因だ。日本人は間違いなく真面目のループに陥っている。これでは多くの人が生きづらさを感じるのは当然だ。そういった状況下で、マスコミを筆頭とする世論は、戦後続いた高度成長期の成功方程式をひたすら追い求めている。まさに、太平洋戦争での神風と何もかわりはない。  厳しい事を書いているが、海外にいると日本が持つ世界最高水準の衛生観念、食事の美味しさ、街の綺麗さ等の日本の良さを再発見してしまう。  そうなるとどっちが良いかは人それぞれになってしまうのであろう。      

嫉妬(1962年)

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この作品は、映画というよりも、むしろ 2時間枠の単発サスペンスドラマ のような、コンパクトで手堅い構成を感じさせます。 作品の背景には 渋いジャズ が流れ、その音楽が醸し出すワイルドな雰囲気に、制作された 時代の空気 が色濃く反映されています。映画はその時代の気分を映し出す鏡ですが、登場人物に目を向けると、この点が顕著です。劇中の 朝子 のような女性像は、現代においては絶滅危惧種」 とも言えるほど古風に感じられます。むしろ、同じ時代に描かれたとしても、 大空真弓 演じる妹の 友子のようなキャラクターの方が、現代の女性像に近いと言えるでしょう。 物語の展開は、 謎解きの定石を裏切る 構成となっており、安易な ハッピーエンド で終わらせていません。さらに、その裏側には一人の男をめぐっても姉に対する妹の嫉妬が隠れています。ストーリーの焦点が多面的な要素を盛り込んでいます。 商業的な成功よりも芸術的な挑戦を優先した、 意欲的な作品 と評価できます。 ✏️ 添削の改善ポイント

「ジョン・レノンの『ラヴ&ピース』を時代背景から考察する」

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 1960年代中期から後半にかけて、西洋社会は ヒッピー・ムーブメント と連動した社会変革の波に洗われました。特に若者たちの間では、 人種差別 をはじめとする既成の権威や不平に対する闘いが展開され、これは現代でいう**リベラリズム(進歩主義)**の源流を形成しました。当然ながら、こうしたムーヴメントの根底には、 ポピュラー音楽 が深く関与していました。 ジョン・レノンの 平和活動 も、この反体制的な潮流の延長線上に位置づけられます。その活動は、 オノ・ヨーコ の存在によって、より先鋭的かつグローバルなものへと増幅されました。しかし、彼の非凡さは、そうした進歩的な思想を、 知性的な洞察 と 芸術的な完成度 をもってレコードという形で後世に残した点にあります。 時が経つにつれ、この時代の多くの活動家の功績やムーブメント自体は人々の記憶から薄れていきました。しかし、ジョン・レノンの音楽と芸術性だけが、その時代精神の象徴として残存したのが実情でしょう。 極論を言えば、これは彼の意図した結果ではないにせよ、ジョン・レノンという個人が、結果的に 1960年代後半の進歩的な思想 の集大成を 自身の功績 として引き受け、歴史的な**「聖人」 の地位を確立したと言えます。彼をめぐるこの現象は、ムーヴメントの評価と個人の遺産との関係における、なんとも 皮肉な構造**を私たちに示唆しているのではないでしょうか。

「伯爵と呼ばれる男」に見るポジティブ思考の源泉

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「男爵と呼ばれる」この男は、裕福な親のもとに生まれ、これまで一度も就職して働くことなく50代後半まで生きてきた。 しかし、引きこもりというわけではなく、和歌を楽しむなど文化的な活動に勤しむ、いわば(古典的な)教養をたしなむ文化人でもあった。こういった人は、本来なら大学の教員や高校の社会科教師、又は団体職員など職につきながら、自分の得意分野を追究するものだが、この人はそういった道を選ばなかった。  「男爵と呼ばれる」この男は、裕福な親のもとに生まれ、これまで一度も就職して働くことなく50代後半まで生きてきた。 しかし、引きこもりというわけではなく、和歌を楽しむなど文化的な活動に勤しむ、いわば(古典的な)教養をたしなむ文化人でもあった。こういった人は、本来なら大学の教員や高校の社会科教師、又は団体職員など職につきながら、自分の得意分野を追究するものだが、この人はそういった道を選ばなかった。 私がこの人を見て、ポジティブシンキングというものを教えられたような気がしてならないことだ。そして、その源流には親の存在があると感じる。 男爵がアルバイトに何度も落ちたことを親に相談すると、親はまず男爵の言語能力の高さを褒め、アルバイトについては「何度落ちたとしても、その過程で知り合った人から様々な事を学んでいけば、やがては自分に合った環境に出会うことができる」と諭している。 もし、これが一般家庭なら、親は半分呆れた態度をしながら「今まで働いてこなかった報いだ」と一蹴するだろう。その点、裕福で名家の血を引く親だからこそ、文化的な面での子供の才能を冷静に評価し、褒めることができたようにも感じる。今の時代は、どんな名家であっても経済的な才能がなければ公団アパートでひっそりと生活するしかない時代。お金がないと生きずらい世の中であるのは、商社出身で海外を舞台に仕事をしていた父が知らない事ではない。 この点は、私などの凡人には理解しがたい「有閑階級の極み」を見せつけられたようにさえ思ってしまう。 正直、私はこの人物や父親について、まだ十分に理解できていない(消化不良だ)。それだけ異次元な感性の持ち主であるからだ。しかし、そのポジティブな考え方には学ぶべきところがある。現代日本においては、これだけのポジティブさを兼ね備えられたら、日常生活をどれだけ楽しく、有意義に過ごせるのかと思ってしまう...

「スローなブギにしてくれ」 ~バブル前の退廃的バラック生活の情景

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 「スローなブギにしてくれ」はこれまで名前だけは知っていたが観たことがなかった。強いていえば、同名タイトルの主題歌がいい味を出しているので、その当時としては最先端を行くおしゃれな映画かと思っていた。  この映画、Youtubeに投稿されていいたので見てみた。  (感想)  この映画のロケ地と思われる福生には、朝鮮戦争を契機に米軍向けに提供した平家の簡易アパートが数多くあり、横田基地も近いことからちょっとした米国を味わえる場所でもあった。  しかし、80年になると老朽化も相まって、バラック的な色彩も帯びていた。ちょっと古びたバラックアパート。これがアパート初期の提供時の昭和20年代後半か30年代なら相当おしゃれな物件であったのは間違いない。   この映画のみどころは、バブル前の日本のバラックな風景、それは戦後の焼け野原からつづく日本の風景でもある。そういった人々の情景が余すことなく映し出されている。  こういったバラックのような家は、バブルを境に都市の再開発の名目のもと消えていく。バブル以降、日本は失われた30年と言われるが、日本人は間違いなくバブル前に比べたらずっと豊かになっている。あるのは、あの頃と比べ人々の心が不安に満ちた社会になったことだけだ。  逆に今の30代以下の人から見ると、新鮮な光景に映るのではないか。 1981年にこの映画はクランクインされた。日本はこの先、バブル経済に突入する。音楽では山下達郎や大瀧詠一が、おしゃれで洗練された街並みを舞台にした人々の生活を描いていた。そういった情景は90年代になると現実化する。 そう考えると、この映画は70年代までの日本人のちょっとした粋な生活情景を色濃くくみ取った作品でもある。

マイケル・ジャクソンの功績を考える

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(莫大な死後収入) “キング・オブ・ポップ”と称されるマイケル・ジャクソンの偉大さは、死後においても際立っている。生前は、死後収入ランキングの常連としてエルヴィス・プレスリーが1位を維持していたが、マイケルの死後は約10年間にわたり、常に1位または2位をキープし、年間1億ドル以上の収入を得ていた。近年では収入が5,000万ドル前後に落ち着くこともあるが、それでもエルヴィスを上回る水準を維持している。 ちなみに、ジョン・レノンはビートルズの印税を含めても年間1,000万〜2,000万ドル程度で推移していることを考えると、マイケルは死後においても圧倒的な存在感を放ち続けていると言える。 (アルバム面での評価) マイケルが発表したオリジナルアルバムは実質6枚だが、いずれも世界的なメガヒットを記録している。没後もその音楽は人々に忘れられることなく、継続的な収入を生み出している。エルヴィス・プレスリーと並び、アメリカを代表するアーティストであることは間違いない。 しかし、ローリングストーン誌が発表した歴代ベストアルバム(2020年)では、「Thriller」が12位、「Off the Wall」が36位、「Bad」が194位と、意外にも控えめな評価に留まっている。ビートルズが9枚、ボブ・ディランが8枚ランクインしていることを考えると、マイケルの評価は過小ではないかと感じられる。 「Dangerous」や「HIStory」は、ビートルズの「A Hard Day’s Night」や「Meet the Beatles」よりも芸術性に富み、完成度も高い。少なくとも「White Album」と同等の評価を受けても不思議ではないだろう。ただし、こうしたランキングは時代背景やリスナー層の変化に左右されるため、定性的な評価とは言い切れない。マイケルの作品がビートルズのように世代を超えて評価され続けるかどうかは、今後10年、20年の時間の経過を見なければ分からない。 (マイケル・ジャクソンの凄さ) マイケル・ジャクソンの凄さは、同一人物が手がけたとは思えないほど、アルバムごとに音楽性が大きく変化している点にある。彼はキャリアの中で三度の“脱皮”を遂げており、こうした変貌を成し遂げたのは、ビートルズを除けばほとんど例がない。 1970年代の『Off the Wall』は、当時のソウル・ミュージッ...

人生最後の夢(短編小説)

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 彼の命は、残された数日を静かに刻んでいた。病室のベッドに横たわりながら、彼の脳裏には、これまでの人生の移ろいが次々と浮かんでは消えていった。小学校で勉強に励み、努力を重ねて一流大学に進学。卒業後は名の知れた大企業に入社し、役員にまで昇進した。すべてが順風満帆だった。しかし、数年前に妻を亡くし、子どももいない。親戚もほとんどおらず、晩年は孤独な日々を過ごしていた。そして今、自分自身もこの世を去ろうとしている。  彼は、自らの人生がまるで一片の花のように儚く、美しく、そして散っていくものだと感じていた。「とうとう自分も土に還るのか」——そんな思いが胸をよぎる。どれほど努力して築いたものも、あの時の感情も、すべては移ろいゆく。人生の無常を痛感しながら、彼の心にはただ、お釈迦様の言葉だけが深く染み入っていた。  彼は、人生最後の夢を見ていた。そこには、部長になりたての自分がいた。あの頃は仕事に情熱を注ぎ、事業部長を目指してライバルと競い合い、小さな派閥を築いては一国一城の主のように振る舞っていた。自分に逆らう部下には容赦なく人事の鉄槌を下し、ライバルを蹴落とすように仕向けていた。夢の中で彼は、そんな部長時代の最も醜い自分にタイムスリップしていた。今思えば、あの時に鉄拳を加えた部下や、敵視していたライバルの方が、正しかったのかもしれない。彼は、ただ階段を一段でも上り、他人より優位に立つことだけを生きがいとしていた。しかし、出世の限界が見え始め、出向の話が現実味を帯びてきた頃、かつての情熱に満ちた会社の姿は、どこか遠いものに変わっていた。後輩たちがかつての自分のように、意地悪く出世競争に邁進する姿を見ると、恥ずかしさが込み上げてきた。そんなある日、彼が嫌っていた部下が仕事の相談に訪れた。彼は怒りをぶつけ、その数ヶ月後にその部下を関連会社へ出向させた。しかし今の彼は、その部下に優しく接し、出向も取り消したいと思っていた。それでも、口は気持ちに反して怒りの言葉を吐いてしまう。  過去は変えられない——その瞬間、彼は病室の自分に戻っていた。そういえば、会社の同僚ともここ数年会っていない。年賀状も、かつては数百枚やり取りしていたが、今では十数枚にまで減っていた。一年前、会社の前を通ったとき、出てきた社員は誰も知らない顔だった。一人は役職者で、もう一人はその部下らしい。社会人ら...