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江戸時代の珍道中 十辺舎一九の「東海道中膝栗毛」

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  江戸時代の十辺舎一九の「東海道中膝栗毛」に触れる。東海道中のドタバタ劇であるが、その内容は現在に通じるものがある。その後、志村けんのコントをみると何も変わらない。いわば、現在のお笑い文化は、既に江戸時代に生まれたといっても過言ではない。これから言えること、江戸時代の暮らしから現代の私たちの生活を再考するのも面白いように感じた。自分たちが今も思っていること。疑問に思っている事。それは江戸時代の庶民も同じことを考えている。人は、いつの時代も同じことを考えているということ。歴史は政治家視点での記述での為政者の記述である。だから自分達の現代と考え方に遮断が起こる。しかし、「東海道中膝栗毛」でもわかるように声の庶民の声と、歴史教科書の江戸幕府の記述とは明らかに乖離が起こる。そう思うと民俗学をライフワークとして探求していくのも面白い。

フジテレビにはびこる“不適切すぎる昭和体質

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 日刊ゲンダイの記事であるが、この問題は日本の悪しき風習を物語っているようだ。  httフジテレビにはびこる“不適切すぎる昭和体質ps://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/366821  日本が先進国入りをしても、どうしても西欧諸国と追いつけないと思うところが、このフジテレビ問題に内包している。正直言ってしまえば、この問題は程度問題はあるるが多極も同じ事でしょう。形を変えたブラック企業の何物でもない。  そんな雰囲気を醸し出す。フジテレビ入社案内がアップされていた。  これを見ても前近代的な雰囲気が漂っている。30年前までどこの企業も似たり寄ったりだったのでしょうか。。。立派な大学卒の女性社員が総合職として扱わず、ひたすらアイドル的な扱いしかしなかった時代。今なら、問題になるだろう入社案内ビデオです。  そして、数年前のジャニーズ問題。細かな事はわからないが、ジャニー喜多川の洗礼を受けたものだけが、ジャニーズとしてデビューし、スターになれる。この話も三流の漫画のような世界感がある。  今は、トランプがかなり叩いているが、民主党政権と西欧の左派の政治が長くつついたため、働き方改革が叫ばれ、言えば昭和気質の職場も減ってきた。そして、男女平等も少しづつ定着してきた。  これらは、トヨタを筆頭としたグローバル企業においては死活問題であるので、日本も追随しなくてはいけない状況下にあったのは確かだ。外国人が、日本の企業で働きたくないと思うからだ。日本もあと10年もすれば昭和気質の人が労働市場から去っていく。その時には、日本においても長時間労働は過去のものになり、西欧諸国のような生活スタイルが定着することを期待したい。

ポールの元恋人ジェーン・アッシャーの功績

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ポールの人生の最盛期は1966年~1968年で。この頃のポールの容姿も最高だった。 ビートルズは存在自体がレジェンドなので、この頃のビートルズをメディアは永遠にリバイスしている。だから、イギリスのどこかにイケメンのポールが音楽活動を行っているのではと錯覚すらしてしまう。 ポールがリンダと結婚する前の恋人ジェーン・アッシャー。 ポールは毛並みが良い子を好んでいたのようで、イギリス社会の視点で見れば、二人の育ちの階級に圧倒的な差。ビートル・ポールでなければ相手にもされない存在です。   彼女が相当な美人であることを踏まえると、なぜ結婚しなかったのか?。ということになる。恐らくであるが、この人、バリバリのキャリアウーマンなので、今でいう男女台頭の関係。リンダのように母親的な役割ができず、ポールは甘えられなかったのであろう。  とはいえ。音楽的な側面では、彼女と一緒にいた方がその後も名曲をたくさん作れたような気もする。女優だけあって、芸術的な素養もあるし、実際ポールの作った傑作は、発表時でなくインスピレーションが噴出した原曲レベルで見ると1968年止まり。それ以降は、世間を唸らせる傑作をつくっていない。そして、その時期こそ、多少のズレはあるものポールが彼女と一緒にいた時期と重なる。  ポールのビートルズ時代にはエレガントなイギリスの雰囲気を漂わせる名曲を作ってきた。例えばシーズリービングホーム、エリナーリグビー、マーサマイディアなど。こういった作風は、イギリスの貴族につながるジャーンアッシャー、そしてその家族の影響を受けているのであろう。  リンダ一家には芸術的な素養はなかった。それでも、リンダも育ちが良く、キャリアウーマンで美人かつ性格はよい。さらにポールの母親役にもなってあげた。至れり尽くせりである。とはいえ、芸術性は?ポールのインスピレーションもさえなくなってしまったようだ。

昭和の雰囲気漂う長渕剛

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 成田祐輔の【成田悠輔vs長渕剛】で長渕剛が出ていた。 令和世代のインテリの旗手である成田と昭和の雰囲気漂う成り上がり代表の長渕t剛。 どう見ても両極端なセッティングであるが、長渕剛を見ていると数少なくなった昭和の残党感が漂い面白かった。  私自身もはっきり言って長渕剛タイプは苦手。この人といたら、自分の自慢話とそばにいる人に説教をまくし立てる昭和感の人間関係を強いられそうで。今の時代、会社でも上司との飲み会はおろか、忘年会とか新年会もランチ会で済ませることが多くなっている。時代は大きく変化したのです。  今は、上司が部下に少しでも雑な言葉を使えばパワハラになる時代。長渕剛なら普通に話してもドスの効いた響きで即効パワハラになります。 そう考えていくとほんの20年くらい前までの長渕剛みたいな昭和感漂う人が会社にごろごろしていた日本は何だったのでしょう。  マスコミでは高度成長期は良かったと吹聴しているけど、今の人たちには耐えられる環境でもないような気がするのですが。。。、

「タモリ学」から人生観を学ぶ!

  1. タモリの達観  タモリは、言わずも知れた大物芸能人ですが、タモリは他の大物芸人と一線を画しています。  タモリは、若い時にフォーク歌手を感情の押し売りである旨で非難をしたことがありました。歌は楽しむだけで良い。意味づけなどするものではないと。  しかし、タモリのそういった姿勢は、単なる批判精神ではなく大御所になっても、自分の生き方として貫いています。芸能界でどんな実績を残しても過去の栄光を前面に押し出したり、説教臭くなることはありません。  タモリの仕事は、現役でもあり余生でもあり、趣味でもあり、遊びでもあり、そして仕事でもあるのです。そこにあるのは、     自分の好きなことを題材に最大限にその時を楽しんでやろうと姿勢だけです。 ガチガチの上下や子弟関係すら嫌います。常に飄々とした出で立ちを崩しません。   2. タモリの名言  有名な言葉に「熱意のある奴は去れ」と言うように、とにかく熱い感情の高まりを嫌います。逆に彼はそういう人を偽善的なふるまいをする奴だと決めつけることさえあります。熱狂の中にいながら冷めた視線をもち、不思議と達観しています。その達観さえ笑いに代えるしたたかさすら持ち合わせています。   そんなタモリを私は尊敬してやみません。いや、タモリからすると尊敬されるほどの高度な事を行っているのではなく、単にそれが自分に根付いた思想にすぎないだけです。  もし、誰かがタモリにそんな高尚な事を質問したら、お笑いの含んだ回答で機転よくかわされるだけでしょう。しかし、彼の軽い飄々とした言葉と行動を紐解いていくと、どうしても諸行無常のはかなさを熟知した振る舞いであるかのように思ってしまうのは私だけでしょうか?   3. 自分が心の底から楽しめる瞬間こそ人生の極意!  旅をするということについて、世間はなにかと「旅の思い出に」や「新しい自分の発見」と言う言葉で装飾したがります。私から見ると、さながら型にはまった感動や思い出の押し売りに感じなくありません。それは、時として一種の脅迫概念として私に迫ってくる事すらあります。そのように私たちは非常に強い固定観念で自分自身を縛り付けているのも事実です。  そこにタモリの言葉からの真実があります。いい...