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ビジホ籠りは遠くなりにけり

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  コロナ以前は、比較的安い値段で宿泊できるビジネスホテルも多かった。私も全てではないが、そして時系列でもないが、それなりに宿泊記を載せてきた。  そういった経験から言える事は、いろいろなビジネスホテルを上手に予約すれば、朝食付きで 5000 円~ 6000 円。キャンペーンなどを上手に利用すれば 4000 円台で宿泊することも可能だった。  その後、コロナでホテルの宿泊値段はさらに大きく下がった。こんな素晴らしいホテルが投げ売りのような価格で宿泊費を提示していたりした。  しかし、その後のインフレとインバウンド需要でホテルの宿泊代は爆騰し、現在に至っている。    私自身、いつかは 1 か月程度のホテル籠りを年に数回行うことを夢見ていたが、最近のホテルの宿泊費ではそれは叶わぬ夢となってしまったようだ。  ランクや場所を選べばできないことはないが、街が寂しくなっている地方都市や都会でも老朽化が著しいような宿泊施設やカプセルホテルの類のようなとこには泊まりたくない。    時代は、デフレから次のステージに移ったようで、今となってはコロナ前のホテル宿泊を懐かしんでもいけない。  栄枯盛衰といえば大げさだが。海外旅行などにもいえるが安く豪華にという時代ではなくなってしまった。  旅行好きにとって、発展途上国の物価が日本と変わらなくなっているという現実を目のあたりにするのは寂しい限りである  これはアベノミクス経済政策である超金融緩和の結果であり、これ自体を論評するつもりはないが。  

アルバム「ラム」に見るポールマッカートニーの才能の限界

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  アルバム「ラム」は、ビートルズの名曲を数多く手がけてきたポールマッカートニーがソロとしてリリースした 2 枚目のアルバムである。 前作の「ポールマッカートニー」の不評を覆すべく、一流のバンドをバックに録音した作品であったが、セールス面ではビルボードチャートの1位を記録しているにも関わらずこの作品の評価も芳しくなかった。それは、ビートルズの作品と比べ劣化が目立つというのがその理由である。  他のミュージシャンから見れば贅沢すぎるというか酷な評価とも言えなくもないが。 一方、アルバム「ポールマッカートニー」は、サウンドこそ散漫であったが、いくつかの楽曲はビートルズ後期を彷彿させる秀逸な作品が含まれていたため、年を経るにつれその評価は高くなった。  しかし、「ラム」は、それぞれの曲が素材または原曲レベルでなにか物足りず、ビートルズ後期に匹敵するような作品はない。もしこれら素材をビートルズに委ねたら、素材の悪い曲はジョンによって発表を拒まれ、残った作品の足りないところはジョンが補い。さらにジョージやリンゴの演奏で曲の精度を高め、ジョージマーチンによってビートルズの楽曲として整えられる。  つまり、ビートルズの作品は極論を言えば4人の共作としてもあながち間違いではない。しかしながら、多くの書物は、この曲は誰の作品と断定的な記載に終始している。  そうなると、ポールの作曲能力が低下したのではなく、ビートルズメンバーによるブラッシュアップが足りなかったという方が正しい。 実際のポールのソロ作品には佳曲が多い。しかしながら、どの曲も多くの人を引き付ける何かが足りないのである。  ポールは、その後ウィングスを結成し、自分のスタイルを確立し、ソロにおいてもセールス面で超一流の結果を残した。しかし、その多くは流行歌止まりで、現在まで楽曲の評価を維持できた作品はごく僅かしかない。  そして、アルバム「ラム」から、ビートルズのバックアップをなくした作品群を発表し始めた。つまり、ビートルポールとソロのポールの境界線のアルバムといえる。  とはいっても、同様の見解は、ジョン、ジョージの作品についても同様のことがいえる。彼らの作品は4人の協力があってはじめて、時代を超えた作品に変貌させることができたのだ。個々の才能によるものだはない。

ビートルズのインタビュー記事に思うこと

    ビートルズには様々な伝記が出版されているが、 ピーター・ジャクソン監督編集の「ゲットバック」によって、多くの伝記が真実というより誰かの証言や誰かの書いた記事をコピーしたかのようなまやかしであったことが露呈された。  この「ゲットバック」で分かったこと事は、世間が造像するほど険悪なセッションではなかったこと。また、ヨーコオノは伝記に書かれているようなメンバーをかき乱すような行動はしておらず、終始大人しかったこと。    ビートルズの解散は、青年期から大人の脱皮であり、日常生活の支柱をグループメンバーと群れるのではなく、家庭にシフトしたことに過ぎない。  さらに、ポールとジョンの関係は、ビートルズが彼らの実家みたいなものであり、お互いが兄弟以上のような絆があったのは間違いない。 1969 年から 1970 年にかけてのジョンは、ビートルズを脱退と家庭(ヨーコ・オノ)のジレンマに苦しみ。ドラッグに溺れていったといっても過言ではない。そういう点では、ポールの脱退宣言に助けられたともいえなくない。     彼らを語るとき、4人はどんな状況においても兄弟以上の親子並みの絆があったということ。喧嘩や言い争いは、親族の喧嘩に過ぎないという前提が欠けている評論も少なくない。  そうでなければ、解散一歩手前でアビーロードのような傑作を作れるはずがない。どういった状況下でも絆で結ばれていたのである。    そして、ヨーコオノの存在は、人々がジョンを偉大なビートル・ジョンの虚像を破壊する存在として、最も邪魔な存在とされた。さらに、黄色人種の誰もが理解に苦しむ前衛技術家となれば尚更である。このため、多くの伝記には彼女のことを辛辣なまでに酷評しているのも少なくない。  彼女の評価はここ 20 年でかなり変わってきた。それは人々が少しずつ、彼女のもつ本当意味での知性を理解し始めたのと。ビートル・ジョンを冷静な目でみることが出来るようになってきたからであろう。   そういう視点からみれば、こまごまとしたインタビューはその当時の彼らの思いかポジショントークに過ぎない。  そもそもインタビューなんてそんなものであるので、それを分析しすぎても論理破綻は生じるのは自明だ。 

(音楽評論)野性味こそロックの醍醐味 佐野元春

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  労働者階級の報われない日常。そんな憤りを表現するのがロックンロールである。階級意識の小さい日本では。ホワイトカラーもブルーカラーも本人次第という側面は否定はできないが、佐野元春は間違いなく、米国の労働者階級の息吹を取り入れ、ストリート・ロックを作り上げた日本の第一人者であろう。   私の好きな佐野元春は、売れない頃の野性味のあふれた作品だけである。実際、人気が出始めてからは、音楽家的な広がりを求めて、野性味が消えていったのは残念である。ローリングストーンズ、日本では矢沢永吉のように 50 年以上もロックの持つ野性味を大切にしてきたのと違い。その後は中途半端になってしまった。ビートルズは多方面の音楽を吸収し成功させた。アルバムを出すごとに脱皮を繰り返し、そして解散した。ローリングストーンズは、ブルースと野性味を保つことに絞って。 50 年以上の世界の一線で活躍している。ビートルズは脱皮しすぎたために、脱皮が出来なくなる前に、自分たちが最高であるうちに店じまいした。結果として解散を速めてしまったのだ。そういう点では佐野元春は、ビートルズ的な音楽の展開を望んだのであろう。これは結果論であるが明らかに失敗であり、初期の音楽を保ち続ければ、ストリートロックの元祖であり、キングとして今の数倍高い評価をえられていたのは間違いない。   好きな曲名は  ナイアガラトライアングルで発表した4曲と、初期の集大成であるノーダメージの中のストリートロック色の強い曲だけである。これを上げれば、  ①ハッピーマン ②  So young ③ it's alright などであろう。 そして、「労働者階級の悲哀を感じさせる  ①情けない週末 ② heart beat まさに、ちょっと危なくも感じる野生児ロック。このような路線を維持し続けて欲しかった。  しかし、彼の雰囲気と容姿は、これら楽曲のようなワイルドさがなく、どちらかというと都会的なインテリさを漂わしている、そう考えると愚直に同じ路線を突き進むというには少し難しかったのかもしれない。 

(ドラマ/映画であの時代にgo!)チャップリンの映画で笑いの原点を楽しむ

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  チャップリンは映画界の黎明期を支えた偉大なる喜劇王で、その名声は現在においても風化することはありません。 チャップリンの映画はトーキーではないので、しぐさや動作で聴衆を笑わせます。言葉による笑いに慣れてしまった私には、これがことさら新鮮に映ってしまいます。 でも、動作やしぐさで面白さを伝えるには、どうしてもオーバーアクションになりがちで、映画を何本か見ていくとどの構成もドタバタなストーリーに帰着します。    チャップリンの映画は一つ一つの動作にギャグが散りばめています。一方、言葉による笑いは、その当時の世相など人々の共有感なども絡んでくます。なので、その共有感を理解しないと何が面白いのかわからなくなります。例を挙げれば、昭和初期や昭和 30 年代のお笑い芸人のギャグを聴いても笑いにつながることはありません。それは 80 年頃の漫才ブームでも同じです。あれだけ面白い言われるビートたけしなどの漫才を見ても、時代が変わっているのでギャグの面白さが直接的に伝わってきません。  さらに国をまたがると、その国の風潮や文化などでギャグの面白さの度合いが変わってきます。笑いというのは意外にもローカルな範囲でしか響かないものです。    そういった意味では。チャップリンの笑いは、時代を超えて受け入れられているだけでなく、老若男女問わず受け入れられる要素があります。私自身でさえ、今もって面白いと感じます。また、その芸風はドリフターズに大きく影響を与えているような、特にカトちゃんなどの芸風に似ているような?  現代のお笑いに疲れた時は、チャップリンの映画で、喜劇の原点というべき、無声のドタバタ劇で笑い転げるのもよいでしょう。笑いに対する新しい発見ができそうです。

(ファンタジー探訪:ホテル編)サンホワイト(大阪)

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  今回も JR 東海のパックツアーを利用してみた。でも、クレジットカードのラウンジ利用の味を知ってしまうと、今度は新幹線より飛行機で大阪に行きたくなる。成田空港でラウンジを楽しんだ後に LCC に乗って大阪に向かう。時間があれば、そんな楽しみ方をしたい。それでも新幹線より安く済ますことはできてしまう   しかし、これは「飛行機+ラウンジ>東京駅+新幹線」の図式であり、ラウンジが利用できないと「飛行機 = 東京駅+新幹線」となってしまう。    新幹線の中で軽い眠りについた。そしてふと窓を見ると綺麗な夕日がそこにあった。この黄昏感が僕の好きな時間、そう思い。その風景を写真に収めてしまった。 また、川沿いからの大阪の夜景も綺麗だったので写真に収めた。   サンホワイトに到着   ホテルのフロントでチャックインをする。受け付けは外国系の人であったので少し異国感に包まれた。その雰囲気から訪日外国人をターゲットにしたホテルであることが伺えた。ロビーには欧米人のバックパッカーらしき旅行客がいたので、おそらく間違いはないであろう。その後、部屋に向かった。   ホテルの施設には多少の古さを感じたものの適宜リフォームをしているのかとても快適な部屋であった。部屋自体も狭くないので同程度の値段のビジネスホテルと比べたら間違いなく快適な空間であった。しかし、歯ブラシなどのアメニティは有料であった。また、他のビジネスホテルも同様だが、コーヒーや紅茶の備え付けもなかった。しっかりとコスト削減をしていた。ホテルの朝食は、中華料理色の強いものであった。値段が 1500 円だったので、朝食は注文せず素泊まりとした。   3 ホテル生活で思う事  以前が、小奇麗な国内ビジネスホテル、又は東南アジアでの中ランクのホテルでの長期滞在という夢を思い描いていたが、長期になればなるほど健康を意識した食事のとり方を考えるようになった。お金をかければそれに応じた健康食を食べられるが、お金をケチればケチるほど健康に疑問符が付くような食べ物を食することが多くなる。 素泊まりの場合、又は朝食がパンとコーヒー程度の軽食しか出さないホテルに泊まるとどうしても健康の事を意識するようになった。そのため、かつてのような菓子パンやカップラーメンやコンビニ弁当などでの安易な揚げ物に頼る

(ドラマ/映画であの時代にgo!)鉄道旅行の全盛期の時空旅行 大いなる驀進

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  Yoitube で期間限定で配信していたので見てみた。 映画のストリー云々ではなく、昭和 30 年代の豪華な旅行を垣間見たった。  新幹線や飛行機での移動が一般化する前の日本。そんな時代にタイムトラベルをしたようで楽しかった。      正直、この時代にタイムスリップしてこのような旅行をしてみたいと言われたら、ラウンジみたいな空間でゆっくりとくつろげなさそうなのでパスします。   映画を見ていて感じたこと、わずか50年間で私たちの生活スタイルが驚くほど変化したことに感嘆した。昭和 30 年代は戦前の日本の面影を残しているようで、昭和 40 年代は若大将シリーズが一世を風靡する。高度成長期の変化のすごさを感じてしまった。 そんなちょっとした時空旅行を楽しませてもらった映画であった。

(ファンタジー探訪:空港/飛行機編)羽田空港でのクレジットラウンジ利用

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   ANA 、 JAL のラウンジ利用サービスの特典も期限が切れて、空港の楽しみ方をあれこれと模索していた。私はその一つとして展望台での利用もしてみたが満足いくものではなかった。 このため、北海道行き以外は新幹線を使うようになった。しかし、イオンカードが晴れてゴールドカードに昇格したことで日本国内の主要な空港ラウンジを利用できるようになった。このゴールドカードは地方空港のラウンジは利用できないが、私は東京、大阪、札幌、福岡、そして那覇のラウンジさえ利用できれば十分。私用で国内線を使う事はないので、年会費ゼロのカードでラウンジ利用できることが空港ライフを愛する私にとってはなによりも頼りなるものです。    運よく、北海道出張の前日にゴールドカードが届いたので、さっそく羽田空港の POWER ラウンジセントラルを利用してみた。このラウンジはゲートの外にあるので離発着で利用できる。 Jazz が似合いそうなちょっとうす暗い空間は私好みである。そんな空間からチェックインカウンターを眺めながらコーヒーを勤しむ。なんとも幸せなひと時である。隣の中年夫婦は初めてラウンジを利用するようで無料で使える喜びを妻に話していた。しかし、声が大きかったのか妻は声が大きいから静かにしてくれと注意されるというなかなか初々しい会話が聞こえてきた。でも、その気持ちは声に出さないが私も同様だ。でも二人は 10 分もたたずに出ていった。やはりこういったしっとりしたスペースを使いこなせなかったようだ。中でくつろいでいる人をみるとパソコンで仕事をするのが好きな男女が多かった。年齢も比較的若い。そういった雰囲気を味わいながらも私はゲート内のラウンジを楽しむためにこのラウンジを出た。      ゲート内に入って、またもやラウンジ( POWER LOUNGE NORTH )を楽しむ。ゲート内のラウンジは、飛行機を真正面にみながらコーヒーを堪能できる。でも、空間スペースがそれほど広くないので、ラウンジ内は混雑が目立った。この辺は、スペースを十分すぎるくらいに確保している空港ラウンジと比べ狭いという印象はぬぐい切れない。このため、長時間のラウンジ籠りはすこし難がある。さらに、ラウンジ内で食べ物の持ち込みもできない。 ANA のラウンジではつまみのスナック菓子を食べながらソフトドリンクを飲みまくるのが

(ファンタジー探訪:ホテル編)ホテルマイステイズで夜の高速を眺める 新大阪

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 今回もJR東海ツアーズのパックツアーで大阪までやってきた。ホテルの選定理由はそれなりに綺麗そうで、朝食がよさそうな反面パック料金が安かったこと。さらに新大阪駅周辺のホテルに泊まるのは初めてであったことも要因だ。費用は、新幹線ののぞみ(往復)とこのホテル代で2万8千円。とてもお得な内容だ。  ホテルマイステイズは、ウィークリーマンションツカサを源流としている。どちらかというとデザイナーズホテルのような独自性で展開しているようなホテルらしい。そういうことはどうでもよいが、どういった背景のホテル化は一応メモをした。 〇ホテルの感触  新大阪駅から歩いて5分程度でホテルについた。ホテルの場所をアピールするのかは分からないが、道端の壁に、「ホテルマイステイズ」という文字を打っていた。そのわきを歩いてホテルのフロントに向かう。フロントもおしゃれで好感できようなシックな創りだった。そして部屋に行くまでの雰囲気も同様にシック。値段の割にしっかりとした演出がなされているようだ。  そうしているうちに部屋につく、部屋はいたって普通。値段相応ともいえるが古びて傷んでいるようではなかった。それとこういったビジネスホテルにありがちではるが部屋は狭すぎた。 ビジネスホテルの部屋は総じて狭いが10㎡ともなると正直狭すぎであるとの印象はぬぐえない。外人から見るとこのコンパクトさこそ、まさに日本文化というものなのであろう。  しかし、窓から高速道路が見えるのがとてもよい。まさに都会のホテルという感じで、私は高速道路から聞こえてくる車の騒音に包まれて眠ることが以外にも好きなのである。そして、まどから高速の夜景を見ると不思議な躍動感に包まれてもくるのである。  この部屋だけでは、ホテル籠りは物足りないが、窓の高速道路の風景を眺めながら、目の前にPCを置いてジャズを聴けば、それなりに気持ちの良いホテルライフはできる。  私は、こういった何気なく過ごす時間が好きである。ネットサーフィンでは、Youtubeで読売テレビの黒木アナのインド訪問の動画を見ていた。インドの強みはIT技術の強さ。そういった点では、インド人はこれから中国に追いつけと世界に羽ばたいていく事は間違いない。  その後、9時頃に寝て、朝3時に目が覚めてしまった。そして窓から高速を見る。深夜の高速もなんともいとおしい。私はその後、浴槽を暗くしな

(ドラマ/映画であの時代にgo!)疑似タイムトラベルを古いドラマ・映画て楽しむ

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  映像が一般化された100年を経過しようとしている。その間に私たちの暮らしや生活様式の変化は想像を絶するものはあります。もし、タイムトラベルを使って、大正時代のJAZZ喫茶に通い詰めたら、そして昭和初期、戦後のJAZZブーム、高度成長期のエレキブーム、その後の4畳半のフォーク時代、そして高度成長期のバブル期に派手やかな日本にタイムトラベルを出来たら、海外旅行など比べ物にならないほどの新しい発見に出会えるかもしれません。 そういった雰囲気を疑似的に楽しめる手段として、ドラマや映画があります。古いドラマや映画になるほど時空旅行(タイムトラベル)を楽しめます。 1.世間は女優の最盛期の美貌に恋焦がれている  ドラマや映画の聖地に行くと、あの素敵なシーンはここで行われたのかと思うと感慨深くもなる。まさに時空へのテレパシーです。でも、ファンは銀幕では絶世の美女を演じた女優の50年前の映画に恋をしているにすぎない。絶世の美女は今となっては老婆になっているにもかかわらず、主演映画の過去の残像に永遠の恋心を抱いている。原節子を例にとるとファンは絶世の美女である若い時の原節子に恋をする。しかし、当の本人は別人のようなおばあちゃんになってひっそりと晩年の生活をおくっている。原節子を恋焦がれるファンの気持ちはテレパシーとなって本人に何らかの形となってと届いているはずだ。大女優などはどういった気持ちでこういったパラドックスを受け止めているのだろう。 2.スナップショット  映画やドラマは人生のスナップショットのように人生のほんの一瞬をドラマにしているにすぎない。人生で一番楽しい時期を良いどこ取りして物語化しているに過ぎない。現実の人生は、ドラマに近いことを起きた後は、人生のピークが過ぎ去って、その後の99%はマンネリ化した無味乾燥な時間を費やしているものだ。だからこそ、私なら、ドラマの主人公の20年後を脚色しない視点で見てみたいと思ってしまう。 3.漫画やアニメは永遠のスナップショット そういう点では、どらえもんののび太やルパン三世などは永遠に年を取らない。人間と違ってこういったキャラクターは永遠の生命を持つ。2000年後もこれらキャラクターは年を取らずに常に同じ輝きを見せてくれる。のび太も永遠の小学生でいつも学校から帰って家で昼寝をしたり、公園で遊んだり、不老不死のように時間の止まった