ビートルズのインタビュー記事に思うこと

 

 

ビートルズには様々な伝記が出版されているが、ピーター・ジャクソン監督編集の「ゲットバック」によって、多くの伝記が真実というより誰かの証言や誰かの書いた記事をコピーしたかのようなまやかしであったことが露呈された。

 この「ゲットバック」で分かったこと事は、世間が造像するほど険悪なセッションではなかったこと。また、ヨーコオノは伝記に書かれているようなメンバーをかき乱すような行動はしておらず、終始大人しかったこと。

 

 ビートルズの解散は、青年期から大人の脱皮であり、日常生活の支柱をグループメンバーと群れるのではなく、家庭にシフトしたことに過ぎない。

 さらに、ポールとジョンの関係は、ビートルズが彼らの実家みたいなものであり、お互いが兄弟以上のような絆があったのは間違いない。

1969年から1970年にかけてのジョンは、ビートルズを脱退と家庭(ヨーコ・オノ)のジレンマに苦しみ。ドラッグに溺れていったといっても過言ではない。そういう点では、ポールの脱退宣言に助けられたともいえなくない。

   彼らを語るとき、4人はどんな状況においても兄弟以上の親子並みの絆があったということ。喧嘩や言い争いは、親族の喧嘩に過ぎないという前提が欠けている評論も少なくない。

 そうでなければ、解散一歩手前でアビーロードのような傑作を作れるはずがない。どういった状況下でも絆で結ばれていたのである。

  そして、ヨーコオノの存在は、人々がジョンを偉大なビートル・ジョンの虚像を破壊する存在として、最も邪魔な存在とされた。さらに、黄色人種の誰もが理解に苦しむ前衛技術家となれば尚更である。このため、多くの伝記には彼女のことを辛辣なまでに酷評しているのも少なくない。

 彼女の評価はここ20年でかなり変わってきた。それは人々が少しずつ、彼女のもつ本当意味での知性を理解し始めたのと。ビートル・ジョンを冷静な目でみることが出来るようになってきたからであろう。

 そういう視点からみれば、こまごまとしたインタビューはその当時の彼らの思いかポジショントークに過ぎない。

 そもそもインタビューなんてそんなものであるので、それを分析しすぎても論理破綻は生じるのは自明だ。 

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