小説 戦国時代へのタイムスリップ:異邦人、天下を導く

 新幹線の心地よい揺れに身を任せ、彼はうとうとしていた。まどろみの中で意識が遠のき、やがて目を開けると、車窓の外の風景は一変していた。見慣れぬ田園風景、遠くに見えるのは時代劇でしか見たことのないような城下町。道行く人々は同じ日本語を話すものの、その言葉遣いは古めかしい。まさか、自分は過去にタイムスリップしたのか――そんな疑念が頭をよぎったが、どうやらそれは現実らしい。


一体、ここはいつの時代なのか。彼は道行く町人に、この地の殿様を尋ねた。町人はぶっきらぼうに「家康様よ」と答える。どうやら、ここは戦国時代、それも徳川家康が治める三河の地らしい。これは夢だ、そう思って自分の足を棒で叩いてみたが、鈍い痛みが走る。夢ではない。何が起こったのか。呆然と街を歩く彼の奇妙な服装に、人々は好奇の目を向けてざわついた。


その日の宿もなく、手持ちの金もない。彼は困り果て、ふと手元の万年筆とノートを売ることを思いついた。立派な店構えの問屋に入ると、店の主人は彼の格好に訝しげな視線を投げかけた。しかし、彼が万年筆を取り出し、さらさらとノートに「山」という文字を書いて見せると、主人の顔色が変わった。「これは一体、どこから仕入れたものだ? 南蛮品でもこれほど上等な物はないぞ!」


主人は小判を一枚差し出し、「これでどうかね?」と持ちかけたが、彼は首を振って立ち去ろうとした。よほど欲しかったのだろう、主人は慌てて小判を五枚に増やして差し出す。その申し出を受け、万年筆とノートを差し出そうとすると、主人はさらに彼の持っていたバッグまで欲しがった。そして追加で小判十枚を提示する。目の前の小判十五枚は、当面の生活資金としては十分すぎる額だった。彼はその場で商談を成立させ、懐に小判を忍ばせると、すぐさま近くの店で時代に合った着物を購入し、三河の街へと溶け込んでいった。


未来からの「予言者」

宿に滞在していると、奇妙な噂を聞きつけた侍が彼を捕らえにやってきた。不審人物として牢に入れられた彼だが、その「変な噂」に興味を抱いた家康が、彼との対面を望んだ。「お前はどこから来たのだ?」と家康が問うと、彼は未来から来たと答えた。「ならば、これから起こる未来を申してみよ」と家康は迫る。


彼は意を決して言った。「信長様は近いうちに美濃を平定し、その地を岐阜と名付けます。」


「では、将軍公はどうなる?」と家康が問う。「元亀四年には室町幕府は終わります」と答える彼に、「誰が倒すのだ」と家康はさらに詰問した。しかし、それは口にできない。彼は「それは言えません」と固辞するが、家康は「言わないなら島流しにするぞ」と脅した。


「どんな答えでもお怒りになりませんか?」彼が尋ねると、家康は「どんな回答でも受け入れよう。さらに、そこの屋敷に住むことを認めよう」と告げた。


彼はしぶしぶと口を開いた。「将軍様を京都から追放するのは、信長様です。しかし、それはまだ先のこと。その前に美濃を平定し、他の土地も平定しなければなりません。」


家康は高らかに笑った。「そんなことをすれば、信玄公や上杉氏、そして毛利などの大名が黙っているはずがないだろう!」そう言ってから、「もう良い。たまには儂(わし)の話相手になってくれ」と告げ、部屋を後にした。


こうして彼は家康から家を与えられた。とりあえず何もすることがなかったので、彼は自分の持ちうる知識の限りを尽くし、いくつかの物語を創作してみた。家康はその物語をいたく気に入り、彼の存在は徐々に家康の日常に浸透していった。


歴史の傍らに立つ者

当時の人々の身長は、彼よりも10cmから20cmも低かった。身長170cmの彼は、その時代においては十分に大柄な体格だった。食べ物はお世辞にも美味しいとは言えず、蒸かしたサツマイモや、塩をまぶしただけのキュウリの方がよほど美味しく感じられた。ただ、時間の流れは、ひどくのんびりとしていた。テレビもラジオもスマホもない。とにかく、暇といえば暇である。いかに現代人があくせく生きているのかを痛感させられた。


一か月後、信長は本当に美濃を平定し、岐阜と改名した。この報を聞いた家康は呆然とし、彼をお抱えの占い師として雇い入れることを決めた。


その後、家康は彼の予言に従って行動するようになる。彼は浅井家との戦い、武田信玄の死、そして織田・徳川連合軍による武田氏滅亡などを予言した。家康は、かつて武田軍との戦いで九死に一生を得た経験があり、武田信玄の強さを身をもって知っていた。弱小の織田の兵が武田軍を破るなどありえない、そう考えていたが、彼の予言がことごとく当たるため、一応心に留めておくことにした。


数年後、武田信玄が病死したという噂が流れた。彼は遠回しに、この噂が真実であると信長にも耳打ちした。そして、信長と共に武田氏攻略の戦略を練り、長篠の戦いで武田軍勢を圧倒的な強さで打ち破った。


家康は彼に絶対的な信頼を置くようになり、その後、彼の紹介で三河一と言われる美しい女性と結婚し、三人の子供をもうけた。さらに、彼の気に入った女性を側室にするよう勧められた。彼の快進撃は止まらなかった。本能寺の変を察知して忍びを使い三河まで逃れることを進言し、秀吉の死の時期をあらかじめ察知して関ヶ原の戦いの準備をさせ、見事に天下を取ることに貢献した。その頃には、彼は十人近くの子供を持つようになり、家康が天下人になる頃にはすっかり「おじいちゃん」になっていた。


残された足跡

しかし、家康の死を看取った後、彼は家に帰る途中でなぜか気を失ってしまった。気が付くと、彼はなぜか新幹線の中にいて、車内では「次の駅は名古屋」というアナウンスが聞こえてきた。今までの出来事が、まるでうとうと眠りの中で見た夢のようにすら思えてくる。


歴史の表舞台から、彼の存在はきれいに消されていた。しかし、ある三流の歴史本に、異端とされる歴史学者の学説が紹介されていた。その書物には、家康が専用の占い師を雇っており、何かを決断する前には必ずその占い師の助言に従っていたと記されている。これくらいであれば、他の大名も同じようなことを行っていたので何ら不思議はない。しかし、その占い師は家康に相当気に入られており、江戸に豪邸を与えられ、家康が亡くなるまで大切に扱われていたという。不思議なことに、家康が亡くなった後、占い師は行方知れずになり、その豪邸には彼の妻と子供だけが残された。占い師がどこで生まれ、どのようにして占いを学んだのかも不明で、師匠に学んだ形跡もなかったと。

彼はその記述を読み、この占い師こそ自分だと直感した。歴史は、こんな風に解釈されるのだな、と一人頷いた。そして、自分の子孫は今どこにいるのだろう。歴史上の自分にあたる人物の足跡をたどり、子孫がどこにいるのかを調べたくなった。


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