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短編小説 寂寥(3回) 南国の楽園

  ノートの最初の方には、彼の華々しい記録が残っている。ノートに はたどたどしい言葉でかいているが、それを小説家に渡してリメイ クすれば、間違いなく映画化してもおかしくないほどの代物だ。  住人は日記の中で、普通の人では体験できないような、まるで映画 のワンシーンのような青春を送っていたようだ。管理人は、 その後住、悪臭漂う住人の部屋で興味津々と日記を読み始めた。 日記には、真夏の南国の出来事がつづられていた。場所は東南アジ アのとあるビーチ。その日は、炎天下の続く夏の日だった。 住人は、ホテル備え付けのプールのデッキチェアーに寝そべってい た。昨日はナイトクラブで朝まで酒を飲みまくって騒いだ。二日酔 いでクラクラする。涼しげな波の音と頭痛が交互に襲うような気分 だ。しかし、気が付くと9時なので朝食を食べにレストランに向か う。昨日の酔いを醒ますかのようにマンゴーの入ったトロピカルジ ュースを飲み干す。少し酔いが醒めてくるのと同時に朝の涼しさを 感じた。すると今度は生暖かい風が彼をいちめんにまとわりつく、 これこそ南国ならではの爽快さである。トーストをかじりながら、 昨夜のことを思い出そうとする。しかし、思い出すことができない 。余程吞み潰していたのであろうか。そうしていると事業仲間のチ ャンがやってきた。昨夜の自分の態度に少し怒っているようだ。で も思い出せない事は思い出せない。日記に張り付けられたチャンの 写真を見ると、遊び人風であるがなかなかの好男子であった。二人 は仕事仲間であり、悪友達でもあった。夜な夜な南国の酒場で羽目 を外していたことが日記から伺える。そばにある写真を見渡すとそ の写真に一緒に写っている女性はたくさんあり、 それらを数えていくと数十人は優に超えていた。その頃の住人は映 画俳優を思わせるほどの容姿であった。日記にはこれらは女性から 口どかれたと書かれている。住人の写真を見る限り、 それはまんざら誇張でなさそうだ。しかも、写真に写っている女性 は一定レベル以上の美貌の持ち主でもあった。住人と女性の移った 写真は広告に掲載されているような理想的な男女像のモデルと変わ らなかった。それだけでない写真の写り方から一定以上の関係をも っていたような写真も少なくない。これでは現世での極楽浄土では ないと管理人は興奮した。住人は妄想の世界のよう...

短編小節 隣の芝生

  彼は平凡な二流大学を卒業し、二流の会社に就職した。人一倍正義感が強く、何事にも真面目に取り組む。しかし、皮肉にも結果が伴わない。その実直さゆえに、彼は結果の出ない自分を過剰に責め、自己評価をどん底まで落としていた。客観的に見れば、彼は決して無能ではない。見方によっては世間一般の「中からやや上」に位置するだろう。しかし、彼は絶対的な自己価値を認められず、常に他人と比較しては、エリート層や成功者、自分より先に出世した同僚を羨んでは「自分は最低だ」という劣等感に苛まれていた。  「自分ばかりが貧乏くじを引いている」そんな思考はいつしか負け意識と不安の塊となり、彼の心を蝕んだ。全てを否定的に捉える「うつ状態」に陥った彼はある日、絶望の淵を彷徨うように公園の小さな森を歩いていた。池の水面に映る、不機嫌な自分の顔。その背後に、いつの間にか仙人のような老人が立っていた。「君の悩みを解決してあげよう。君のエネルギーを三段階上げてやろう」老人がそう告げた瞬間、景色が歪んだ。 第一の試練:富  気がつくと、三年の月日が流れていた。彼はネットビジネスで成功を収めた富裕層になっていた。 周囲にはポジティブな成功者ばかりが集まり、かつての友人のような愚痴や悪口を言う者はいない。だが、そこは安息の地ではなかった。慢心すれば競合に追い抜かれ、一瞬の油断が転落に繋がる。経営の重圧に心は休まる暇もなく、そのストレスを埋めるために月百万円の愛人を囲い、豪華な旅行を繰り返したが、虚しさは募るばかりだった。 タワーマンションの自室に帰っても、妻とは仮面夫婦。心の通わない「すました生活」があるだけだ。世間からは夢のような生活に見えるだろうが、実態は孤独な砂漠を一人歩いているのと変わらなかった。 第二の試練:名誉  次に彼は、会社の出世頭となっていた。だが、そこはアスリートのような仕事量と努力を強いられる修羅場だった。三百六十五日、ライバルを蹴落とすことだけを考え、脱落する恐怖に怯える日々。 その予感は最悪の形で当たった。次期役員に選ばれたのは、彼より能力の低い、専務の「太鼓持ち」だった。情実人事という社内政治の敗北。彼は不条理な世の仕組みを叩きつけられ、無能な上役の部下となった末に、子会社へ放出された。役員待遇とはいえ、魂が抜けたような抜け殻の人生だった。 第三の試練:愛  最後に、彼はスポーツ...

桑田佳祐の魅力を考える

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サザンオールスターズの魅力の根源は、青山学院大学(青学)を背景とした「学生バンド」としての空気感にあり、その世界観が多くの大学生の共感を集めてきた。代表曲「Ya Ya (あの時代を忘れない)」がリリースされた当時は、女子の大学進学率がまだ低かった時代である。男女共学の青学を舞台にした学生バンドの華やかな大学生活は、当時の若者たちにとって羨望の的であった。 もしこれが、早稲田・明治・法政といった当時の「男子校文化」の強い大学のバンドであったなら、同じ曲を歌ったとしても、世間の受け止め方は全く異なるものになっていただろう。 とはいえ、桑田が描く女性像は、青学出身者が抱かせるアッパーミドルな雰囲気とは一線を画す。そこには泥臭さがあり、決して良家の子女のような清廉潔白さはない。それは男性像も同様で、青学のイメージである「垢抜けて洗練された都会の男性」とは異なる。このギャップこそが、幅広いファン層を獲得できている要因だ。その源流は、母がスナックを経営しており、そこで働くホステスたちの人生を間近に見てきた経験にあるのではないか。だからこそ、桑田の描く人間像には独特の哀愁が漂っているのである。 そして、原由子の存在が極めて大きい。桑田の持つ「下世話」な部分を、彼女の存在や歌声が見事に中和している。いわば、女性ファンにも受け入れられる土壌を彼女が作っているのだ。もし原由子がいなければ、サザンは女性から敬遠され、一部の男性のみに支持されるバンドに留まっていた可能性が高い。 さらに、彼が「サザン」というバンドを大切にし続けている点も見逃せない。デビューから半世紀近くが経とうとしている今もなお、彼らの間には学生時代の延長のような雰囲気が漂っている。いつまでも仲間と和気あいあいと活動を続ける姿が、学生時代の自分を見失いかけている古中年以上のリスナーの心を揺さぶるのである。 結局のところ、桑田佳祐は決して天狗になることなく、周囲の人々を大切にすることで、結果として自分自身の評価を高めてきた。もし彼が原由子と離別したり、サザンを解散してソロ活動のみに専念したりしていたら、今のような国民的な存在にはなっていなかったであろう。人からの評価H自分の能力だけでなく、周りを大切にすることで回りまわって帰ってくるという側面は否定できないものである。

日本の悪いところ、良いところ

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南国愛おやじのyoutube で、マレーシアでの鉄道が予定通りの時間に動かない。そして、走行中にドアが半ドアになっていても、マレーシア人は何も気にしない。の動画にしています。  こういった細かな(?)ことにこだわらないマレーシア人に対し、ここまで緩いと私自身の顔がほころんでしまいます。これが日本なら、国土交通省から改善命令を下されるのは間違いなく、ドアが半ドアの状態で鉄道が走行したら鉄道会社の免許停止になるでしょう。  今の日本人には許容が欠けている。だから、生きづらさか充満している。さらに、ビジネスにおいては失敗を許さない事なかれ主義が蔓延っている。このため、AIやロボット等のトライ&エラーで進歩する産業では米国や中国の後塵を拝している。これだけ真面目にかかわらず国の競争力が年々低下している原因だ。日本人は間違いなく真面目のループに陥っている。これでは多くの人が生きづらさを感じるのは当然だ。そういった状況下で、マスコミを筆頭とする世論は、戦後続いた高度成長期の成功方程式をひたすら追い求めている。まさに、太平洋戦争での神風と何もかわりはない。  厳しい事を書いているが、海外にいると日本が持つ世界最高水準の衛生観念、食事の美味しさ、街の綺麗さ等の日本の良さを再発見してしまう。  そうなるとどっちが良いかは人それぞれになってしまうのであろう。      

嫉妬(1962年)

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この作品は、映画というよりも、むしろ 2時間枠の単発サスペンスドラマ のような、コンパクトで手堅い構成を感じさせます。 作品の背景には 渋いジャズ が流れ、その音楽が醸し出すワイルドな雰囲気に、制作された 時代の空気 が色濃く反映されています。映画はその時代の気分を映し出す鏡ですが、登場人物に目を向けると、この点が顕著です。劇中の 朝子 のような女性像は、現代においては絶滅危惧種」 とも言えるほど古風に感じられます。むしろ、同じ時代に描かれたとしても、 大空真弓 演じる妹の 友子のようなキャラクターの方が、現代の女性像に近いと言えるでしょう。 物語の展開は、 謎解きの定石を裏切る 構成となっており、安易な ハッピーエンド で終わらせていません。さらに、その裏側には一人の男をめぐっても姉に対する妹の嫉妬が隠れています。ストーリーの焦点が多面的な要素を盛り込んでいます。 商業的な成功よりも芸術的な挑戦を優先した、 意欲的な作品 と評価できます。 ✏️ 添削の改善ポイント

「ジョン・レノンの『ラヴ&ピース』を時代背景から考察する」

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 1960年代中期から後半にかけて、西洋社会は ヒッピー・ムーブメント と連動した社会変革の波に洗われました。特に若者たちの間では、 人種差別 をはじめとする既成の権威や不平に対する闘いが展開され、これは現代でいう**リベラリズム(進歩主義)**の源流を形成しました。当然ながら、こうしたムーヴメントの根底には、 ポピュラー音楽 が深く関与していました。 ジョン・レノンの 平和活動 も、この反体制的な潮流の延長線上に位置づけられます。その活動は、 オノ・ヨーコ の存在によって、より先鋭的かつグローバルなものへと増幅されました。しかし、彼の非凡さは、そうした進歩的な思想を、 知性的な洞察 と 芸術的な完成度 をもってレコードという形で後世に残した点にあります。 時が経つにつれ、この時代の多くの活動家の功績やムーブメント自体は人々の記憶から薄れていきました。しかし、ジョン・レノンの音楽と芸術性だけが、その時代精神の象徴として残存したのが実情でしょう。 極論を言えば、これは彼の意図した結果ではないにせよ、ジョン・レノンという個人が、結果的に 1960年代後半の進歩的な思想 の集大成を 自身の功績 として引き受け、歴史的な**「聖人」 の地位を確立したと言えます。彼をめぐるこの現象は、ムーヴメントの評価と個人の遺産との関係における、なんとも 皮肉な構造**を私たちに示唆しているのではないでしょうか。

「伯爵と呼ばれる男」に見るポジティブ思考の源泉

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「男爵と呼ばれる」この男は、裕福な親のもとに生まれ、これまで一度も就職して働くことなく50代後半まで生きてきた。 しかし、引きこもりというわけではなく、和歌を楽しむなど文化的な活動に勤しむ、いわば(古典的な)教養をたしなむ文化人でもあった。こういった人は、本来なら大学の教員や高校の社会科教師、又は団体職員など職につきながら、自分の得意分野を追究するものだが、この人はそういった道を選ばなかった。  「男爵と呼ばれる」この男は、裕福な親のもとに生まれ、これまで一度も就職して働くことなく50代後半まで生きてきた。 しかし、引きこもりというわけではなく、和歌を楽しむなど文化的な活動に勤しむ、いわば(古典的な)教養をたしなむ文化人でもあった。こういった人は、本来なら大学の教員や高校の社会科教師、又は団体職員など職につきながら、自分の得意分野を追究するものだが、この人はそういった道を選ばなかった。 私がこの人を見て、ポジティブシンキングというものを教えられたような気がしてならないことだ。そして、その源流には親の存在があると感じる。 男爵がアルバイトに何度も落ちたことを親に相談すると、親はまず男爵の言語能力の高さを褒め、アルバイトについては「何度落ちたとしても、その過程で知り合った人から様々な事を学んでいけば、やがては自分に合った環境に出会うことができる」と諭している。 もし、これが一般家庭なら、親は半分呆れた態度をしながら「今まで働いてこなかった報いだ」と一蹴するだろう。その点、裕福で名家の血を引く親だからこそ、文化的な面での子供の才能を冷静に評価し、褒めることができたようにも感じる。今の時代は、どんな名家であっても経済的な才能がなければ公団アパートでひっそりと生活するしかない時代。お金がないと生きずらい世の中であるのは、商社出身で海外を舞台に仕事をしていた父が知らない事ではない。 この点は、私などの凡人には理解しがたい「有閑階級の極み」を見せつけられたようにさえ思ってしまう。 正直、私はこの人物や父親について、まだ十分に理解できていない(消化不良だ)。それだけ異次元な感性の持ち主であるからだ。しかし、そのポジティブな考え方には学ぶべきところがある。現代日本においては、これだけのポジティブさを兼ね備えられたら、日常生活をどれだけ楽しく、有意義に過ごせるのかと思ってしまう...

「スローなブギにしてくれ」 ~バブル前の退廃的バラック生活の情景

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 「スローなブギにしてくれ」はこれまで名前だけは知っていたが観たことがなかった。強いていえば、同名タイトルの主題歌がいい味を出しているので、その当時としては最先端を行くおしゃれな映画かと思っていた。  この映画、Youtubeに投稿されていいたので見てみた。  (感想)  この映画のロケ地と思われる福生には、朝鮮戦争を契機に米軍向けに提供した平家の簡易アパートが数多くあり、横田基地も近いことからちょっとした米国を味わえる場所でもあった。  しかし、80年になると老朽化も相まって、バラック的な色彩も帯びていた。ちょっと古びたバラックアパート。これがアパート初期の提供時の昭和20年代後半か30年代なら相当おしゃれな物件であったのは間違いない。   この映画のみどころは、バブル前の日本のバラックな風景、それは戦後の焼け野原からつづく日本の風景でもある。そういった人々の情景が余すことなく映し出されている。  こういったバラックのような家は、バブルを境に都市の再開発の名目のもと消えていく。バブル以降、日本は失われた30年と言われるが、日本人は間違いなくバブル前に比べたらずっと豊かになっている。あるのは、あの頃と比べ人々の心が不安に満ちた社会になったことだけだ。  逆に今の30代以下の人から見ると、新鮮な光景に映るのではないか。 1981年にこの映画はクランクインされた。日本はこの先、バブル経済に突入する。音楽では山下達郎や大瀧詠一が、おしゃれで洗練された街並みを舞台にした人々の生活を描いていた。そういった情景は90年代になると現実化する。 そう考えると、この映画は70年代までの日本人のちょっとした粋な生活情景を色濃くくみ取った作品でもある。

マイケル・ジャクソンの功績を考える

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(莫大な死後収入) “キング・オブ・ポップ”と称されるマイケル・ジャクソンの偉大さは、死後においても際立っている。生前は、死後収入ランキングの常連としてエルヴィス・プレスリーが1位を維持していたが、マイケルの死後は約10年間にわたり、常に1位または2位をキープし、年間1億ドル以上の収入を得ていた。近年では収入が5,000万ドル前後に落ち着くこともあるが、それでもエルヴィスを上回る水準を維持している。 ちなみに、ジョン・レノンはビートルズの印税を含めても年間1,000万〜2,000万ドル程度で推移していることを考えると、マイケルは死後においても圧倒的な存在感を放ち続けていると言える。 (アルバム面での評価) マイケルが発表したオリジナルアルバムは実質6枚だが、いずれも世界的なメガヒットを記録している。没後もその音楽は人々に忘れられることなく、継続的な収入を生み出している。エルヴィス・プレスリーと並び、アメリカを代表するアーティストであることは間違いない。 しかし、ローリングストーン誌が発表した歴代ベストアルバム(2020年)では、「Thriller」が12位、「Off the Wall」が36位、「Bad」が194位と、意外にも控えめな評価に留まっている。ビートルズが9枚、ボブ・ディランが8枚ランクインしていることを考えると、マイケルの評価は過小ではないかと感じられる。 「Dangerous」や「HIStory」は、ビートルズの「A Hard Day’s Night」や「Meet the Beatles」よりも芸術性に富み、完成度も高い。少なくとも「White Album」と同等の評価を受けても不思議ではないだろう。ただし、こうしたランキングは時代背景やリスナー層の変化に左右されるため、定性的な評価とは言い切れない。マイケルの作品がビートルズのように世代を超えて評価され続けるかどうかは、今後10年、20年の時間の経過を見なければ分からない。 (マイケル・ジャクソンの凄さ) マイケル・ジャクソンの凄さは、同一人物が手がけたとは思えないほど、アルバムごとに音楽性が大きく変化している点にある。彼はキャリアの中で三度の“脱皮”を遂げており、こうした変貌を成し遂げたのは、ビートルズを除けばほとんど例がない。 1970年代の『Off the Wall』は、当時のソウル・ミュージッ...

人生最後の夢(短編小説)

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 彼の命は、残された数日を静かに刻んでいた。病室のベッドに横たわりながら、彼の脳裏には、これまでの人生の移ろいが次々と浮かんでは消えていった。小学校で勉強に励み、努力を重ねて一流大学に進学。卒業後は名の知れた大企業に入社し、役員にまで昇進した。すべてが順風満帆だった。しかし、数年前に妻を亡くし、子どももいない。親戚もほとんどおらず、晩年は孤独な日々を過ごしていた。そして今、自分自身もこの世を去ろうとしている。  彼は、自らの人生がまるで一片の花のように儚く、美しく、そして散っていくものだと感じていた。「とうとう自分も土に還るのか」——そんな思いが胸をよぎる。どれほど努力して築いたものも、あの時の感情も、すべては移ろいゆく。人生の無常を痛感しながら、彼の心にはただ、お釈迦様の言葉だけが深く染み入っていた。  彼は、人生最後の夢を見ていた。そこには、部長になりたての自分がいた。あの頃は仕事に情熱を注ぎ、事業部長を目指してライバルと競い合い、小さな派閥を築いては一国一城の主のように振る舞っていた。自分に逆らう部下には容赦なく人事の鉄槌を下し、ライバルを蹴落とすように仕向けていた。夢の中で彼は、そんな部長時代の最も醜い自分にタイムスリップしていた。今思えば、あの時に鉄拳を加えた部下や、敵視していたライバルの方が、正しかったのかもしれない。彼は、ただ階段を一段でも上り、他人より優位に立つことだけを生きがいとしていた。しかし、出世の限界が見え始め、出向の話が現実味を帯びてきた頃、かつての情熱に満ちた会社の姿は、どこか遠いものに変わっていた。後輩たちがかつての自分のように、意地悪く出世競争に邁進する姿を見ると、恥ずかしさが込み上げてきた。そんなある日、彼が嫌っていた部下が仕事の相談に訪れた。彼は怒りをぶつけ、その数ヶ月後にその部下を関連会社へ出向させた。しかし今の彼は、その部下に優しく接し、出向も取り消したいと思っていた。それでも、口は気持ちに反して怒りの言葉を吐いてしまう。  過去は変えられない——その瞬間、彼は病室の自分に戻っていた。そういえば、会社の同僚ともここ数年会っていない。年賀状も、かつては数百枚やり取りしていたが、今では十数枚にまで減っていた。一年前、会社の前を通ったとき、出てきた社員は誰も知らない顔だった。一人は役職者で、もう一人はその部下らしい。社会人ら...