ポールの元恋人ジェーン・アッシャーの功績

ポールの人生の最盛期は1966年~1968年で。この頃のポールの容姿も最高だった。

ビートルズは存在自体がレジェンドなので、この頃のビートルズをメディアは永遠にリバイスしている。だから、イギリスのどこかにイケメンのポールが音楽活動を行っているのではと錯覚すらしてしまう。

ポールがリンダと結婚する前の恋人ジェーン・アッシャー。

ポールは毛並みが良い子を好んでいたのようで、イギリス社会の視点で見れば、二人の育ちの階級に圧倒的な差。ビートル・ポールでなければ相手にもされない存在です。



  彼女が相当な美人であることを踏まえると、なぜ結婚しなかったのか?。ということになる。恐らくであるが、この人、バリバリのキャリアウーマンなので、今でいう男女台頭の関係。リンダのように母親的な役割ができず、ポールは甘えられなかったのであろう。

 とはいえ。音楽的な側面では、彼女と一緒にいた方がその後も名曲をたくさん作れたような気もする。女優だけあって、芸術的な素養もあるし、実際ポールの作った傑作は、発表時でなくインスピレーションが噴出した原曲レベルで見ると1968年止まり。それ以降は、世間を唸らせる傑作をつくっていない。そして、その時期こそ、多少のズレはあるものポールが彼女と一緒にいた時期と重なる。

 ポールのビートルズ時代にはエレガントなイギリスの雰囲気を漂わせる名曲を作ってきた。例えばシーズリービングホーム、エリナーリグビー、マーサマイディアなど。こういった作風は、イギリスの貴族につながるジャーンアッシャー、そしてその家族の影響を受けているのであろう。

 リンダ一家には芸術的な素養はなかった。それでも、リンダも育ちが良く、キャリアウーマンで美人かつ性格はよい。さらにポールの母親役にもなってあげた。至れり尽くせりである。とはいえ、芸術性は?ポールのインスピレーションもさえなくなってしまったようだ。

コメント

このブログの人気の投稿

高級ホテルから横浜港眺める ハイアットリージェンシー横浜

JR東海ツアーズのパックツアーで楽しむ:オリエンタルホテル栄

梅田の歓楽街近くのデザイナーズホテル:ホリックホテル

JR東海ツアーズのパックツアーを楽しむ:ユニゾイン大阪北浜

(音楽で旅を味わう)古き良き香港への誘い! ブリージン (Breezin')