投稿

注目の投稿

海外も長くいると飽きてくる

イメージ
 日本が嫌で海外に出ても。長く住んでいればそこが日常になって飽きてくる。旅というのは結局のところ日常の物足りなさを埋めるツールにしかすぎません。  そういったことを二つの動画から垣間見れます。 一つは、こばとらさんの動画    動画の28分ごろから、「平凡な日常こそ最高の幸せ」と述べております。こばとらさんは世界一周など様々な海外旅行記をアップしてきましたが、そろそろ目新しさなくなり飽きてきたのでしょう。  もう一つの動画は、「南国愛おやじ」さんの以下の動画です。  南国愛おやじさんは、海外移住して初めの1~2年はマレーシアを楽しんでいたが、その後はマンネリ化してくるものです。大抵の人は、その頃に日本に帰国します。逆に、マンネリ化した後でも満喫できるなら、本当意味でその国の生活と相性がよいということになります。 、

ハードルが高くなり過ぎたシニアの海外移住

イメージ
  日本円が強かった時代。シニアの楽しみの選択肢の一つに海外移住があった。リタイア後は東南アジアでのんびり優雅な年金生活をおくりたい。20年前にはそれは十分すぎるくらい可能な選択肢であった。そして強い円の時代に多感な青春をおくった40代~50代にいまだにそんな夢を追いかけている人も少なくないであろう。  しかし、それも夢となって散ってしまいそうだ。そういった点で興味深いブログに遭遇した。 定年後の過ごし方とロングステイ・世界遺産の旅 2015 http://www.tt.em-net.ne.jp/~soy7686/index.html この記事はコロナ前であるが、最後のほうになるとシニア生活がスムーズにいかなくなってくる様子も描写されている。現地のインフレ(物価高)が生活を圧迫し始めてきたのだ。ブログ記事においても以下の言及がある。 「これらを踏まえて考えると、一般的なサラリーマンの公的年金だけでは、定年後の海外ロングステイはかなり難しくなってきます。 確かに、アジアの一部の国・地域では家賃・食費は安いのですが、生活費全体に占める割合は大したものではなく、定年後の 豊かな夫婦二人の生活でもっともかかるのは、「夫小遣い」・「妻小遣い」・「教養娯楽費」 なのです。」  このブログ記事はコロナ以前です。今はコロナ以降の世界での強烈なインフレと円安でシニアの海外移住は、娯楽費どころか家賃や食費ですら窮するようになってきたのです。相当なたくわえがないと20年前のような海外生活は出来なくなりました。  日本国が貧乏になり日本人の楽しみがまた一つ減っていく。しかし、これは現在進行形です。かつての強い円を知っている世代からすると、憤りのないやるせなさに包まれます。

海外の本当の姿を紹介する動画(南国愛おやじ)

イメージ
 「南国愛おやじ」の非常に興味深い動画を紹介します。 南国ならではのゆるい生き方を日本人の常識に照らし合わせて紹介している二つの動画です。 東南アジアの人たちは日本人と比べ「ゆるく」言い方を悪くすると「がさつ」であり、そういったところが、神経質な日本人からすると堪えられないと感じる人も多いのでしょう。しかし、その気持ちは日本人の異常なまでの生真面目さと道徳観に他なりません。  それこそが日本人が抱えている「生きづらさ」の根源なのだから。   

「Another summer」オメガトライブのその後をモデル化したような動画「うみと船」

イメージ
オメガトライブの「Another  summer」は、夏の海の男女の情景をおしゃれに表現しています。  「DearBreeze」では、海をこよなく愛する男の生き方の情景 「TOI HITOMI」では、海岸を背景に描かれる恋愛観  こういった世界観と合致していそうな世界観の持つカップルYoutuberを見かけました。それが「うみと船」です。  ひと昔ま前なら、海とヨットは石原裕次郎や加山雄三だったりするのですが、このカップルは泥臭くなく現代風なそれなりにおしゃれさを兼ね備えています。  そういった意味では、「Another  summer」オメガトライブを実写した感があります。

週末(歌: NSP)で昭和時代の喫茶店(カフェ)を妄想

イメージ
  昭和のマニアックな歌ですが、昭和の若者の週末の過ごし方が描写されています。今の時代、スターバックスなどのカフェでパソコンでいじっているのがよくある光景ですが、40年前もカフェは若者たちのおしゃれ?な場所であり、その光景こそが歌の中に散りばめられています           具体的には、下記のような喫茶店なのでしょうか?

社長漫遊記 サラリーマンが最も輝いていた時代

イメージ
この映画には、高度成長期のサラリーマンが如何に輝いていたかが分かります。映画やドラマというのはその時代の社会的世相を人々の願望を誇張し具現化するものです。なので、 今の時代、このような映画は受けません、せいぜい三流芸人がコメディとして取りあげるだけです。この映画と植木等の無責任シリーズを足せば、その頃のサラリーマンの願望が見えてきます。 この映画は高度成長期の陽の側面を描写したに過ぎません。この頃は、戦後の生活から抜け切れていない人も多く、そのころの現実を描写した映画として、  私たちの結婚   https://fantasy-v21.blogspot.com/2025/03/1962.html  であります。日本が本当意味でこれら人々の生活の底上げするのは、これから20年の月日を待たなくてはいけません。

私たちの結婚(1962年)(欧米との著しい生活レベル格差の存在した時代)

イメージ
  この映画は1960年前半の人々の庶民の生活をしることが出来る貴重な作品です。 (どんな正論を振りまいても 世の中は お金である))  映画では、浦安の海苔養殖業者の家を舞台に、工場勤務の 美人の姉はとその妹を中心にストーリー展開していく。高度成長期の日本の工業化によって、浦安の 海苔養殖業者は壊滅的な被害を受け、日々の生活もままならない。当然であるが、そういった生活は美人の姉に結婚観にも大きく影を落すことになる。はじめは同じ会社の 工場勤務の好青年と付き合うが、高校時代の友人が、いわば西欧人専門に付き合い貢いでもらう事で、着る物、身に着けているものが高級品ばかりという生活を目のあたりにする。 美人の姉は、お金のあることの意味を身につまされる。そこに縁談としてビジネスでちょっとした成功をした男との縁談が持ち上がる。親はその人に対し、お金はあっても人間としての品に疑問を持ち、縁談を反後にしようとするとが、美人の姉がお金のある生活を優先し、工場勤務との彼と別れ、 貧乏でいることに 逃げるように 家で同然で 小金持ちと結婚する 。 このストーリーはなかなかシビアです。清貧なんて言葉を説く人もいますが、世の中は金の魅力には勝てないのです。 そして、もう一つ注目すべき事は、1960年代の日本人と西欧人の立ち位置の違いです。1960年代の日本のGDPは、イギリスはフランスとはほぼ互角でした。しかし、一人当たりの生活水準という点では圧倒的な差があったことを示唆しています。ひと昔前には、圧倒的な給与水準の差がから、東南アジアの女性が日本人の男と結婚すると現地では中流以上の成果を謳歌できるようになる。そのため、日本人は容姿に関わらずモテた。これと同じようなことが、日本人と西欧人の間では起きていたということです。こういった事は、今となっては忘れ去られるだけではなく、後世の識者によって綺麗に脚色されて現実と乖離してしまう事が常である。これは当時の 庶民の現実を知る上での相当貴重な資料です。 (時代の移り変わり) この時代の女性は、結婚する相手で人生の全てを左右させれます。とはいえ、 日本はこれから高度成長期、そしてバブル経済に向かって 1億総中流時代に突き進んでいきます。 1962年から27年後にジャパンアズナンバーワンとして日本の製造業は 世界を席巻します。この職工はその時5...

ルパン三世にも通じる映画『野郎に国境はない』

イメージ
 小林旭が国際刑事警察(ICPO/インターポール)の捜査官に扮し、パリ、そしてバンコクと世界を股にした闇勢力とのアクションクション!スリル満点のカーチェイス!拳銃の撃ち合い!美女との駆け引き!等の活躍を魅せる娯楽映画。  ルパン三世を語る上では、この時期は007のブームと相まって、世界を股に掛けた無国籍な映画がそれなりに流行っていたのが分かります。ルパン三世は、こういった作品の流れを漫画に舞台を移したともいえます。  

赤木圭一郎のオーラにびっくり

イメージ
 日本のジェームスディーンと言われる赤木圭一郎。1961年に亡くなっているのでコアな映画マニアでないと見る機会はないのですが、youtubeに期間限定で「紅の拳銃」がアップされていたので見ました スターたる貫禄のオーラが漂い方が半端ありません。21歳とは思えない貫禄と風格に驚きました。 さらに、同時期のスターである石原裕次郎、小林旭にも共通するのですがワイルドなアクションの中にも育ちの良さがあること  親は歯科医師で成城大学在学。ヤンチャなお坊ちゃんというところです。  日活は、無国籍映画がたくさん作っており、酒場での乱闘シーンなどはその当時の欧米の映画を真似たように演出です、赤木圭一郎はこの時、21歳。現実の日本、特に学生は安保闘争に奮闘していました。そして多くの人はまだバラック小屋に住んで今した。 現実の日本社会から見れば、このような無国籍映画はDisneyのような桃源郷の世界です。  この人は、映画が最も隆盛を誇った時に亡くなりました。もし、存命であったらという事を考えると、石原裕次郎は、その後に試行錯誤を繰り返しながら石原プロでその地位を確立します。小林旭は、大きな借金を抱えながら歌や舞台で続けます。二人は全くと言っていいほどかつての面影はなくなったのですが、俳優は、どのように年を重ねていくかで全ての評価が下されます。言い方を変えると「終わりよければ全てよし」。  

小林旭「ギターを持った渡り鳥」(1959)

イメージ
 小林旭の代表作渡りシリーズ この映画は昭和34年の映画です。戦後から14年を経過した日本の姿がみれます。 この舞台は函館です。古き良き地方が栄えていたのが分かります。 素敵な酒場で、こういうところで飲んでみたいですね。 中身は、西部劇っぽい、浮世名ばれしたストーリーです。 まず、ギターを持って街を歩く。今ではそんな人はいません。 そして、流れ者の用心棒。 このような設定は、今となっては、お笑い芸人が面白 おかしく演じるくらいです。 浅丘ルリ子がヒロインとして輝いています。   小林旭は生粋の東京出身ですが、不思議と田舎出身のオーラを漂わせています。朴訥な話し方と熊さんみたいな容姿がそう感じさせるのでしょう。一方、石原裕次郎は終始都会的な雰囲気を醸し出していました。