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アジアンテイストな街並みが魅力な清潔で安全な国(日本)

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 外国人のインバウンド客をみていると外国人は日本にアジアンテイストを求めている。  そういった点では、タイ、マレーシア、台湾、韓国、日本の街並みはみな同じアジアなのだ。  10年前までは、アジアにおいても日本が別格扱いされていたが、いまやタイやシンガポール、そして台湾の旅行客も日本古来の風景を求めて日本にやってくる。  こうなったのも、日本企業が他アジア諸国に日本同じようなとビルや街並みをつくったのが原因なのではあるが、いまやバンコクもクアラルンプールも台北やソウルも中心地になればばるほど、東京や大阪と変わらないビルが乱立している。  最近は、日本が先進国であるのかすらわからなくなっています。

菊川怜が3人の母親であることについて

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  菊怜は、東大卒の才媛グラドルの先駆けで三拍子そろった美女であるが、芸能人としてのアクの強さに乏しく、東大卒の知性をアピールするくらいしか特徴がなかったため、大きな飛躍ができていない。あと残るのは、知名度を生かして政治家になる道だ  こういった人になると釣り合う人を探すのに苦労し、長らく独身を続けていたが、40歳前に青年実業家と結婚し、高齢出産であるが続けざまに3人の子供を産んだ。子供が好きで計画的な出産でしょう。    高学歴女性は向上心が強く、結婚もせず独身のまま社会エリートを貫いたり、結婚しても子供を持つことなく社会で頑張る人も少なくない。  私は、菊川怜に増え続ける高学歴女子の母親の演じ方の見本になってほしいと思っている。    女性は、子供を産むと母親という生き物になり、ひたすら子供を愛して 20 年から 30 年の月日が流れていく。 菊川怜も一番下の子が大学卒業するころには60歳を超える。いい年だ。  女性が子供を産むのは人間にとって子孫を残す重要な役割となる。科学の発展により、 100 年後には人工授精が一般的になり、故人を含めた優秀な人の精子や卵子を使って子どもを産むことが当たり前になるかもしれない。それ位に今の科学技術の発展は著しい。

 小説 寂寥(2回) 幸せの意味を問う

  管理人は、彼が以前住んでいた街に赴いて 、 その邸宅を見に行った。閑静な住宅街の一角にその邸宅はあり、社会的にある程度の成功を得なければ住めるような場所ではなかった。そして、写真と同じたたずまいの邸宅は、 写真の刻印は確か25年前であったが、今もって 外観もリフォームされ て立派な豪邸の佇まいを残している。玄関口から品のよさそうな女性が出てきた。そして庭の花に水を与えていた。しかし、それは写真での彼の妻らしき人ではない。どうも、 別の家族が住んでいるようだ。写真には、庭にブランコがあって彼の子供と妻が楽しく遊んでいる様子が描かれていた。そんな子供たちも今は大きくなっているのであろう。  日記と思しきノートを読んでいくと、彼の人生の中ではちょうどこの頃が最も幸せだったように思われてならない。日記から読み取れる言葉の一つ一つに幸せがにじみ出ているようだった。彼は、そこから転落の人生を歩むのだが、彼の心の中には、この邸宅の幸せなひと時が、彼に人生において心の中の映像として暮らしているように思えてならなかった。だから、それ以降の人生は、いわばそういった楽しい時期の思い出に包まれながら様々な苦難を耐え忍んでいたのであろう。鏡で見る自分は往年の好男子ではない。今は枯れた醜い初老の風貌だ。しかし、心の中での彼は、邸宅にたたずんでいた頃の彼なのだ。この住人が人生前半の幸福や悪事を、この邸宅の幸せな人生を起点として、人生後半には償うようにして全てが逆回転していき、人生のプラスマイナスを相殺して亡くなった。それでも何のくいを残す素振りもない。管理人は、そんな彼のノートの読み解くうちに、幸せの意味を自分に問いただした。本当の幸せとは、その人に人生にとって、暖かく囲ってくれる妖精のようなものだと。   人生にさしたるプラスマイナスもなく、本当の幸せを感じることがなく、今もって年甲斐もなく煩悩に苛まれている自分との違いに言葉を出すことすらできなかった。

ネットビジネスはカリスマビジネスに通じる

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  音楽業界やアイドル、政治家、様々な論客などはカリスマ性の大小によりその存在を図る目安になる。 高倉健、矢沢永吉、長渕剛、石原裕次郎などはその代表だ。有名な話では、矢沢永吉や長渕剛のコンサート会場をうろうろしているとミニ矢沢永吉やミニ長渕剛がウロウロしているのというのがある。高倉健のやくざ映画では、映画が終わるとミニ高倉健がウロウロしていたとのこと。 それだけ、多くの人の生き方や考え方に影響を与えるカリスマ的存在。いわば教祖的な存在にも通じる。  でも、これはネットの世界でも同じである。YoutuberなどのSNSで成功するためにはカリスマ的な魅力が必要不可欠である。 時代は、まずますネットに傾斜して来る。カリスマビジネスもますます拡大していくのであろう。

新興住宅街のデジャブ

80年代、東京近郊の新興住宅地に住む30代~40代の夫婦を描いたドラマが結構数あった。場所は、たまプラーザ、つくし野、中央林間など、、こぎれいな街並みと戸建て住宅に囲まれ、そして小学生から中学生の子供をもつ夫婦たちの人間模様を描いたものである。多くの若者がそれに憧れたものである。あれから40年が過ぎ、これら世代は70代~80代になり、あの頃の輝かしさは消え失せて、老人だけの街になってしまった。そういった場所は世代が移るにつれ変遷していく。今は、代表的な街として流山のおおたかの森がある。これも数十年過ぎれば同じようになるかもしれない。街にも流行り廃りがあり、それは郊外になると顕著になる。  街もそうであるが、流行の街に身を委ねるとその街と共に高齢化していくになってしまうのかもしれない。 金妻」住宅地の落日、高齢化でスラム化懸念も 方丈記「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」   数百年の長い目で見れば、まさに方丈記の世界観を感じてしまうものである。

小説  寂寥part1 アパート住人の日記

  築 70 年の老朽化したアパートの前に管理人と工事業者が何やら話し込んでいる。最後の住人がお亡くなりになられた。ようやくやくこのアパートの取り壊しが出来るようになった。この住人は6か月先の家賃まで管理人に振り込んでいた。管理人はこの住人の親族である保証人に連絡をとったが音信不通。そこで保証人が住んでいる家にむかったところ空き地になっていた。親族は役場に問い合わせたら保証人は10年前にお亡くなりになったとのこと。どうも住人には頼るべき身寄りはなさそうだ。これでは、管理人が特別縁故者になるしかなく、半分嫌な気持ちで遺品整理をはじめた。 そこには、若かりし頃の写真と日記が散らばっていた。まるで俳優と女優に見間違えるくらいハンサムな男性と美人が写っている。華やかな若かりし頃が想像された。管理人はそれを見てため息をついた。 その写真の背景には大邸宅が写っている。さぞかし優雅な暮らしをしていたことが想像できる。事業などで羽振りが良かったのか写真を見る限り。随分立派な家に住んでいたようだ。さらに立派な邸宅を背景に美しい妻と子供らしき人物が写っている。誰もが羨むのような人生だ。そして、その脇には日記と思しきノートが10冊あった。しかし、写真をめくっていけば行くほど、この住人の顔に品性が失われ、ドヤ顔に変わっていく。背景も次第にみすぼらしくなっていく。その終着点がこの老朽化したアパート。晩年はこういうアパートで迎えることになったかもしれないが。この人は、一般の人より幸せな人生を送っていた。一体彼に何があったのだろうか。なぜ、ここまで落ちぶれたのか。管理人は、そんな住人の人生になんかしら興味を抱くようになった。管理人は、彼の事をもっと知りたくなった。遺品整理には時間がかかるので、もう少し時間を頂けないかと工事業者に伝え、工事の延期をお願いし、工事業者は遅延金をいただくことで渋々了承した。管理人はこの住人の日記を自分の部屋に持ち帰って夜通しで日記を読み始めた。

「ティファニーで朝食を」で古き良き米国を楽しむ

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 この映画を取り上げたのは、映画の内容でなく、60年前のニューヨークの都会の風景の素晴らしさです。 1960年代は、都会と言えども街並みは西欧諸国以外バラックが散見されるのが当たり前です。 リアルタイムでこの映画を観た人たちは、豊かな米国に羨望のまなざしを抱いたいのは間違いありません。  時は経て、2024年にもなると、世界各国の都会の街並みは、西欧諸国、アジア諸国に如何にかかわらず立派なビルが林立しています。世界はそれだけ裕福になったのです。  女優も、オードリーヘップバーンのような可憐な美しさは消えていき、強さの含んだ綺麗さに変化していきました。  さらに、今のセレブはもっとラフな服装です。ただ、いつの時代も金持ち男はモテるという事だけは変わりません。

ソロのPaulが最も輝いていた頃の映像

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  Paulのソロ曲は、どうしても間延びして感が否めないが、 ビートルズ時代のオーラをそのまま継承したステージがある。 それが「James Paul McCartney Show」  このビデオをみていると、ジョンレノンと同程度のオーラを放っている。ロッカーとしてのポールが堪能できる。しかしながら、ポールは年追うごとに、このようなオーラがなくなり、つまんなくなってくる。  この辺で音楽を活動をやめたら、ジョン以上のレジェンドになったのは間違いない。  ポールはこの後76年頃まで最盛期を迎えることになるが、オーラというか作品の質としても73年以降は明らかに下降線を辿っている。流行歌程度にとどまり、時代を超えての評価に値する作品が出てこなくなった。   アーティストは、オーラがなくなった時こそ辞め時なのかもしれない。  

ポールの元恋人ジェーン・アッシャーの功績

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ポールの人生の最盛期は1966年~1968年で。この頃のポールの容姿も最高だった。 ビートルズは存在自体がレジェンドなので、この頃のビートルズをメディアは永遠にリバイスしている。だから、イギリスのどこかにイケメンのポールが音楽活動を行っているのではと錯覚すらしてしまう。 ポールがリンダと結婚する前の恋人ジェーン・アッシャー。 ポールは毛並みが良い子を好んでいたのようで、イギリス社会の視点で見れば、二人の育ちの階級に圧倒的な差。ビートル・ポールでなければ相手にもされない存在です。   彼女が相当な美人であることを踏まえると、なぜ結婚しなかったのか?。ということになる。恐らくであるが、この人、バリバリのキャリアウーマンなので、今でいう男女台頭の関係。リンダのように母親的な役割ができず、ポールは甘えられなかったのであろう。  とはいえ。音楽的な側面では、彼女と一緒にいた方がその後も名曲をたくさん作れたような気もする。女優だけあって、芸術的な素養もあるし、実際ポールの作った傑作は、発表時でなくインスピレーションが噴出した原曲レベルで見ると1968年止まり。それ以降は、世間を唸らせる傑作をつくっていない。そして、その時期こそ、多少のズレはあるものポールが彼女と一緒にいた時期と重なる。  リンダも育ちが良く、キャリアウーマンで美人かつ性格はよい。さらにポールの母親役にもなってあげた。至れり尽くせりである。とはいえ、芸術性は?ポールのインスピレーションもさえなくなってしまったようだ。

タイ人youtuberの日本旅行動画を見て

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  タイ人youtuberが日本旅行した時の動画がありました。     日本人が世界中を旅行して、その土地を紹介する動画はめずらしくないのですが、タイ人が紹介する日本は見ていて新鮮です。  こういった動画を見ていると、外国人が日本という国をどのようなイメージで見ているのかが垣間見れます。  今の時代は、日本人が当たり前に行っていることは、新興国といわれる国の若者も当たり前に行われるようになった。これまでは、日本が癒しを求めてタイ旅行していたが、これからはタイ人gあ癒しを求めて日本旅行する人も多くなっていくのであろう。  これを日本の国際的地位の低下というのか、先進国と新興国の差は小さくなったとうのかはわからないが、世界はますます一つになっているようだ。