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奇跡的な変身を遂げたアルバム「レットイットビー」

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(奇跡 その1 散漫なセッションが傑作に変貌)  このアルバムは、非常に奇跡的である。なぜなら、1か月にわたるセッションにおいて完璧な完成度に至らないままセッションを終わらせてしまう。誰も本気になって落としどころを見つけようとしない。本来ならゴミのようなアルバムで終わるものが、最後はフィルスぺクターの斬新なアレンジで1年を経ていつの間にか傑作に様変わりしてしまう奇跡。ファンは散漫な出来のプレ版や最悪なセッションのビデオや音源を手に入れながら、ビートルズ解体そして解散に突き進むことへの様々な思いを巡らせる。これが、秀逸なシナリオライターが作った舞台の演出ではないところが面白い。 (ジョンの脱退への序章)  このセッションは、ジョンにとっては最悪なものであったのは間違いない。なぜなら、ポールのアルバムと言っていいほど二人の提供する楽曲の質に開きが生じたからだ。ここまでバランスに欠けてしまったら、ジョンはやる気を失せるのは当然と言えば当然だ。さらに、ビデオ撮影がなければ、セッションのなかで数曲作ることもできたが、それも出来なかった。この点については、ポールの無神経さなのか、天然というべきかということだ。  最終的にはフィルスぺクターにより「アクロスザユニバース」の完成度をあげることで、ポールの「レットイットビー」と「ザロングワイディングロード」に一矢を報いることができた。しかし、このことがジョンのバンド活動への熱意を失わせたことは間違いない。 (奇跡 その2 伝説の映像)  ビートルズ解散に関する話は至るところで書かれており、それだけを題材とした書物も少なくない。多くのファンは文字の世界でしか知りえなかった情報を直接的に映像や音源で触れることができる。まさに、この散漫なセッションビデオが歴史遺産としての伝説の映像になってしまったのである。 とにかく、映像に映し出される4人の存在感というかオーラがすごい。それだけでファンにとっては感動ものである。さらに写真や伝記でしか知らない、彼ら周辺のスタッフや家族の映像もみることができる。曲を正式なアレンジまで高める過程において様々なアレンジで試行錯誤している様子もファンにとって生唾ものである。ジョージの一時脱退とその後のセッションの停滞の様子、グループを纏めようとするポールの痛々しい心境など伝説のシーンや会話すらビデオや音源でみること...

ジョンのポール化したアルバム「Wall and Bridge」

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 「Wall and Bridge」は、生前のジョンの作品で最も好業績を記録したあるアルバムである。  しかし、このアルバムを評価するならジョンのポール化したアルバムと言える。これの意味するところは、アルバムは人受けしやすい無難な作りであり、メロディもそれなりに聞きやすい。だから短期的には売れる。しかし、作品に力強いパワーがない。そして芸術的な要素もない。だから時代を超えて人々から支持される作品にまで昇華していない。つまるところ。ジョンは流行歌を作ったにすぎない。  ポールは、ソロになって優れた流行歌をつくるソングライターになった。米国で10枚近くのNo1作品を出した。ポールは、ソロの活躍だけで殿堂入りに値する。では、ビートルズの作品と何が違うのか?。それは圧倒的な芸術性と革新性の違いである。だから長きにわたって評価されたり、聴かれたりすることはない。  ジョンのこのアルバムで合格点に達している曲は2曲。それは① Whatever Gets You Thru The Nightである。エルトンジョンの参加によりジョンの生涯にわたっての代表すべきポップソングに仕上がっている、そしての②#9ドリーム。これはジョンの才能を如何なく発揮し、過去の作品にはない新しい境地のメロディラインを創出した。それ以外に、曲の素材というなら「Bless you」ももう少し磨くべきではなかったかと感じるあとの作品に残念ながら素材すら輝く作品はない、そういった点ではアルバム「MindGames」のほうが好素材の作品が多かった。創作能力という点でも陰りが見え始めている。ビートル時代にあまたの芸術作品を発表した男としての岐路に立たされていたと言える。  正直、このあと5年間の空白に入るが、ジョンのキャリアという点では、これが正解だったと思う。これ以降何年に渡って、流行歌を意識した凡庸な作品を何枚も発表されたら、ジョンの評価を相当下げたに違いない。  発表する作品が少ないからこそ、そして凡庸な流行歌が少ないからこそ、ビートルズ時代と引けを取らないパワーと芸術性の含んだ1970~1971年のソロ作品がジョンの代名詞となり、現代に渡って聴きつがれる要因になったのだから。  

素敵なSmooth JAZZジャズに酔いしれて

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      都会のホテルで景色を眺め永田聞きたい曲。飛行場のおしゃれなラウンジでも会いそうな爽やかさ。最高の逸品です。 こちらは、都会の夜を少し落ち着いて楽しみたいときにあいそうなJAZZ ワインで片手に都会の風景を楽しみたいのものです。 こちらはちょっと未来都市に合いそうな無機質さが心に染みわたります。。デザイナーズホテルなどに聞くとなんともいえない気持ちにさせられます。

ローリングストーンズとビートルズの深い関係

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 この年になって初めてわかったことだが、ローリングストーンズを世界に送り出したマネージャーはなんと、ビートルズの剛腕マネージャーであるブライアンエプスタインの会社の広告係アンドリュー・ルーグ・オールダム 。 伝記によると、ビートルズがロンドンのクロウダディクラブに出演中のローリング・ストーンズのライヴを観に行き、ローリングストーンズに可能性を感じて、ジョージがアンドリュー・ルーグ・オールダム のそのことを話して、1963年4月28日(日)にクロウダディクラブに出演中のローリング・ストーンズのライヴを観て魅力を感じ、マネージャーとして売り込むことを決意する。  不世出な人たちというのは、不思議と特定の時代の集中して現れて、その人たちは世の中に脚光を浴びる前にすでにお互い知っていたり、何らかの関係を持っていることが多いというのも不思議です。   ジョン・ポールとの関係より、アンドリュー・ルーグ・オールダムはブライアンエプスタインの下でビートルズがスターダムにのし上がる手伝いをして、そのノウハウをローリングストーンズの育成させたということ。つまるところ、ビートルズが成功しなkれ場ローリングストーンズも今のような名声を得られていなかったという事実です。そしてビートルズが光なら、ローリングストーンズは影というように、対照を際立たせたマーケティングに成功します。  不思議とこの話は多き報じられる事はないので、私も今になって初めてしりました。人生を決める要素というのは実力もありますが、素晴らしい人に出会うというのそれ以上に大切な要素であるということを感じさせられます。  

江戸時代の珍道中 十辺舎一九の「東海道中膝栗毛」

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  江戸時代の十辺舎一九の「東海道中膝栗毛」に触れる。東海道中のドタバタ劇であるが、その内容は現在に通じるものがある。その後、志村けんのコントをみると何も変わらない。いわば、現在のお笑い文化は、既に江戸時代に生まれたといっても過言ではない。これから言えること、江戸時代の暮らしから現代の私たちの生活を再考するのも面白いように感じた。自分たちが今も思っていること。疑問に思っている事。それは江戸時代の庶民も同じことを考えている。人は、いつの時代も同じことを考えているということ。歴史は政治家視点での記述での為政者の記述である。だから自分達の現代と考え方に遮断が起こる。しかし、「東海道中膝栗毛」でもわかるように声の庶民の声と、歴史教科書の江戸幕府の記述とは明らかに乖離が起こる。そう思うと民俗学をライフワークとして探求していくのも面白い。

JAZZテイストな サザン ( Just a little bit)

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 私はJAZZテイストなサザンが好きです。  この曲には、日本語で歌詞はメロディとマッチしているんですが、英語は恐らく単に日本語を英語に変えただけ、歌詞にこだわって音に気を配っていない。なので、メロディを損ねているのがちょっと残念。どうせなら、最後まで日本語で歌えばよかったのにと思ってしまいます。 サザンの人気は、桑田の才能もありますが、原坊と青山学院の学生バンドという側面も大きいのは確かです。  原坊の役割は、サザンな男女の下劣な歌詞や歌を原坊の存在でファン層を中和させている事。これが男くさいバンドならファン層も偏って、時代とともに消えてしまったでしょう。原坊は桑田の妻であり、それによって桑田の下劣な歌詞が、仲の良い男女関係、そして夫婦にまで昇華させるのに成功しております。 次に青学の学生バンド出身であること。このため歌詞も下世話の内容が多くても、一定の品を醸し出した事。これが都会のおしゃれな若者から、地方の若者までファン層を広げることが出来た事。そして、原坊と青学のおしゃれさから女性層にまでファンを広げた事。  桑田は、当然であるがそのことは重々承知しており、原坊とは良き夫婦関係を築き、永遠の学生バンドとしてファンを魅了しつづけています。

小説 1993年海外旅行での「バラと酒」の日々

1993 年バブル崩壊による経済停滞の中でも、時代はバブルの余韻に包まれていた。この時の自己テーマは「バラと酒」の日々、それは古い映画のような言葉だが、お酒は全てを心地よくした。そしてバラを求め南国に赴く、海外に出向けば日本円の強さに圧倒される。東南アジアいけば、現地人の価格は 1/5 ~ 1/10 でしかない。とにかく何でも安すぎるのだ。なので、ちょっとした高級感の溢れる南国風のホテルに宿泊し豪華なひとときにひたる。そして、シャワーを浴びたあとの濡れた髪をそのままにし、風光明媚な風景を眺めなから朝だというのにビールを飲む。国際経済チャンネルからはアジアのマーケット情報が流れてくる。窓を開けベランダに立つと早朝なのに熱風が吹き込む。それがなんとも心地よくいとおしい。まさに、天国に一番近いところというのはまさにこのような事を指すのであろう。極上の気分に包まれている。とはいっても、若さは熱いエネルギーを欲しがるものだ。あり余る体力を武器に思いっきり遊びたくなる。楽しんで楽しみ抜いてエネルギー消耗のために無駄な時間を費やすことになる。さっそく、ビーチをぐるりと散歩し爽快な気分になった後、ビーチ沿いのテラスでホテルバイキングをゆっくりと堪能する。それが終わるとリラックスマッサージを1時間半ほど堪能する。昼食を軽めに済ませ、ビーチパラソルでゆったりうたた寝。そしてインターネットで調査作業を夕方まで行い、夜は夕食をかねてバー・レストランのパーティーで一日疲れを発散。そして力尽くまででナイトクラブで遊びきる。そんな生活を 2 か月程度つづけ、それが飽きたら中国~ベトナム~タイ~マレーシアなどをぶらり旅で 3 か月。夜はナイトパーティー、ダンスホール。すべてが嘘のような幸せの時間だった。とにかく、若いエネルギーとは、喧騒と猥雑を追い求め、そこに自分を見出して多くの精力を費やすものだ。  

フジテレビにはびこる“不適切すぎる昭和体質

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 日刊ゲンダイの記事であるが、この問題は日本の悪しき風習を物語っているようだ。  httフジテレビにはびこる“不適切すぎる昭和体質ps://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/366821  日本が先進国入りをしても、どうしても西欧諸国と追いつけないと思うところが、このフジテレビ問題に内包している。正直言ってしまえば、この問題は程度問題はあるるが多極も同じ事でしょう。形を変えたブラック企業の何物でもない。  そんな雰囲気を醸し出す。フジテレビ入社案内がアップされていた。  これを見ても前近代的な雰囲気が漂っている。30年前までどこの企業も似たり寄ったりだったのでしょうか。。。立派な大学卒の女性社員が総合職として扱わず、ひたすらアイドル的な扱いしかしなかった時代。今なら、問題になるだろう入社案内ビデオです。  そして、数年前のジャニーズ問題。細かな事はわからないが、ジャニー喜多川の洗礼を受けたものだけが、ジャニーズとしてデビューし、スターになれる。この話も三流の漫画のような世界感がある。  今は、トランプがかなり叩いているが、民主党政権と西欧の左派の政治が長くつついたため、働き方改革が叫ばれ、言えば昭和気質の職場も減ってきた。そして、男女平等も少しづつ定着してきた。  これらは、トヨタを筆頭としたグローバル企業においては死活問題であるので、日本も追随しなくてはいけない状況下にあったのは確かだ。外国人が、日本の企業で働きたくないと思うからだ。日本もあと10年もすれば昭和気質の人が労働市場から去っていく。その時には、日本においても長時間労働は過去のものになり、西欧諸国のような生活スタイルが定着することを期待したい。

小説 40年の月日が物語るオジの男やもめ

 彼は60歳の定年間近の会社員。役職は担当部長職である。周りから見たら立派なオジである。鏡を見れば老けた年相応の男がそこにいる。彼は、数十年ぶりに大学の親友とあった。そこにいた親友は大学時代とさほど変わらない時間が止まったような雰囲気を漂わせていた。二人が並ぶと10歳以上の年齢差があるようだ。聞くと、ある会社で専門職についているとのことで非常に軽い雰囲気を漂わせていた。  彼は、非常にまじめな性格であった。彼の職場ではゴリラ顔の上司が威勢をはって指揮をとっていた。当然であるが、ゴリラ上司は部下も含め多くの敵を抱えていた。部下の場合は、ゴリラ上司と合う合わないでその後の出世が決まるわけだが、彼はそういったゴリ顔の上司に好かれていた。このゴリラ顔の上司は、その上の上司の顔色をうかがう事ばかり考えて、実作業は常に右往左往していた。当然であるが、このあおりを受けるのがゴリラの部下連中であった。余りにも雑な作業の進め方に一般常識のある部下からそっぽを向かれてしまうほどの亀裂が走ることも少なくなかった。しかし、その上の上司に対するゴマすりが功を奏して、ゴリラは人事的な処罰を受けることなく順調な出世をしていた。当然であるが、このゴリラは出世の過程で自分にそぐわない部下を追い出し、ゴリラに従順な連中だけに恩賞をあたえているので、必然的にゴリラの意向に対して抵抗する部下は皆無になってしまった。  彼は、そんなゴリラ上司の右往左往の施策に対し、さしたる抵抗をせずに忠誠を尽くしていたので、そういった点ではゴリラからの評価が高く、順調な出世をしていた。時には、ゴリラのストレス解消として一緒に飲みに行かされ、聞きたくないゴリラの身の上話や仕事に対する考え方、会社の人間関係などを聞かされた。さらには、彼に対しての仕事の仕方に対しても説教というか叱咤激励などしていた。当然であるが、理路整然でない仕事で達成を求められ、ゴリラの人間的な対応も余儀なくされていたので、そのストレスは相当なもので、彼は30代で白髪が増え始め、40代ではストレス解消の酒飲みすぎがこうじて、顔が黒ずんできて立派な親父顔になってしまった。それでも、ゴリラのおかげで実力がない割には、上座の席に座って仕事をする立場になっていた。家では、土日も仕事をしているか、仕事のストレスを発散するかのどちらかであり、妻、そして子供とさえ...

映画「The BEACH」に見るハリウッドの白人至上主義の名残

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  ディカプリオの出演作品としても有名な 「The  BEACH」。しかし、今見ると テーマとなるビーチには、白人から見た南国の桃源郷が描かれているにすぎず、 東南アジア人はあくまでもエキゾチックにしか描かれてません。現地人を全くと言って無視しています。  今、このような映画を作ったら白人社会の間でも非難されるでしょう、やはり中国の台頭、そしてそれに続くインド人の台頭で、 ヨーロッパも今となっては小国の集まりです、それはイギリス、フランスに至ってもです。このため、 白人だけの世界観が共有される時代ではなくなったのです。  こういった映画を見ると、2000年までは東南アジアは、エキゾチックであり、それは日本人に対しても同様の描かれ方をしていました。一種の白人優勢の植民地時代の名残が残っているのが感じられます。