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やっぱり、日本人は真面目

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南国愛おやじのyoutube で、マレーシアでの鉄道が予定通りの時間に動かない。そして、走行中にドアが半ドアになっていても、マレーシア人は何も気にしない。のを動画にしています。  こういった細かな(?)ことにこだわらないマレーシア人に対し、ここまで緩いと顔がほころんでしまいます。これが日本なら、国土交通省から改善命令を下されるのは間違いなく、ドアが半ドアの状態で鉄道が走行したら鉄道会社の免許停止になるでしょう。   今の日本人は、これだけ真面目にかかわらず国の競争力が年々低下している。真面目のループに陥っている。これでは多くの人が生きづらさを感じるのは当然かもしれません。つまり、戦後続いた日本の成功方程式を忘れて新たなスキームの構築をを日本人は求められているのです。真面目な日本人には、週休3日を導入するくらいにしたほうがよいのでは?そうすると、日本人も少し緩くなるのでは?と思ってしまいます。      

嫉妬(1962年)

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この作品は、映画というよりも、むしろ 2時間枠の単発サスペンスドラマ のような、コンパクトで手堅い構成を感じさせます。 作品の背景には 渋いジャズ が流れ、その音楽が醸し出すワイルドな雰囲気に、制作された 時代の空気 が色濃く反映されています。映画はその時代の気分を映し出す鏡ですが、登場人物に目を向けると、この点が顕著です。劇中の 朝子 のような女性像は、現代においては絶滅危惧種」 とも言えるほど古風に感じられます。むしろ、同じ時代に描かれたとしても、 大空真弓 演じる妹の 友子のようなキャラクターの方が、現代の女性像に近いと言えるでしょう。 物語の展開は、 謎解きの定石を裏切る 構成となっており、安易な ハッピーエンド で終わらせていません。さらに、その裏側には一人の男をめぐっても姉に対する妹の嫉妬が隠れています。ストーリーの焦点が多面的な要素を盛り込んでいます。 商業的な成功よりも芸術的な挑戦を優先した、 意欲的な作品 と評価できます。 ✏️ 添削の改善ポイント

「ジョン・レノンの『ラヴ&ピース』を時代背景から考察する」

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 1960年代中期から後半にかけて、西洋社会は ヒッピー・ムーブメント と連動した社会変革の波に洗われました。特に若者たちの間では、 人種差別 をはじめとする既成の権威や不平に対する闘いが展開され、これは現代でいう**リベラリズム(進歩主義)**の源流を形成しました。当然ながら、こうしたムーヴメントの根底には、 ポピュラー音楽 が深く関与していました。 ジョン・レノンの 平和活動 も、この反体制的な潮流の延長線上に位置づけられます。その活動は、 オノ・ヨーコ の存在によって、より先鋭的かつグローバルなものへと増幅されました。しかし、彼の非凡さは、そうした進歩的な思想を、 知性的な洞察 と 芸術的な完成度 をもってレコードという形で後世に残した点にあります。 時が経つにつれ、この時代の多くの活動家の功績やムーブメント自体は人々の記憶から薄れていきました。しかし、ジョン・レノンの音楽と芸術性だけが、その時代精神の象徴として残存したのが実情でしょう。 極論を言えば、これは彼の意図した結果ではないにせよ、ジョン・レノンという個人が、結果的に 1960年代後半の進歩的な思想 の集大成を 自身の功績 として引き受け、歴史的な**「聖人」 の地位を確立したと言えます。彼をめぐるこの現象は、ムーヴメントの評価と個人の遺産との関係における、なんとも 皮肉な構造**を私たちに示唆しているのではないでしょうか。

「伯爵と呼ばれる男」に見るポジティブ思考の源泉

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「男爵と呼ばれる」この男は、裕福な親のもとに生まれ、これまで一度も就職して働くことなく50代後半まで生きてきた。 しかし、引きこもりというわけではなく、和歌を楽しむなど文化的な活動に勤しむ、いわば(古典的な)教養をたしなむ文化人でもあった。こういった人は、本来なら大学の教員や高校の社会科教師、又は団体職員など職につきながら、自分の得意分野を追究するものだが、この人はそういった道を選ばなかった。  「男爵と呼ばれる」この男は、裕福な親のもとに生まれ、これまで一度も就職して働くことなく50代後半まで生きてきた。 しかし、引きこもりというわけではなく、和歌を楽しむなど文化的な活動に勤しむ、いわば(古典的な)教養をたしなむ文化人でもあった。こういった人は、本来なら大学の教員や高校の社会科教師、又は団体職員など職につきながら、自分の得意分野を追究するものだが、この人はそういった道を選ばなかった。 私がこの人を見て、ポジティブシンキングというものを教えられたような気がしてならないことだ。そして、その源流には親の存在があると感じる。 男爵がアルバイトに何度も落ちたことを親に相談すると、親はまず男爵の言語能力の高さを褒め、アルバイトについては「何度落ちたとしても、その過程で知り合った人から様々な事を学んでいけば、やがては自分に合った環境に出会うことができる」と諭している。 もし、これが一般家庭なら、親は半分呆れた態度をしながら「今まで働いてこなかった報いだ」と一蹴するだろう。その点、裕福で名家の血を引く親だからこそ、文化的な面での子供の才能を冷静に評価し、褒めることができたようにも感じる。今の時代は、どんな名家であっても経済的な才能がなければ公団アパートでひっそりと生活するしかない時代。お金がないと生きずらい世の中であるのは、商社出身で海外を舞台に仕事をしていた父が知らない事ではない。 この点は、私などの凡人には理解しがたい「有閑階級の極み」を見せつけられたようにさえ思ってしまう。 正直、私はこの人物や父親について、まだ十分に理解できていない(消化不良だ)。それだけ異次元な感性の持ち主であるからだ。しかし、そのポジティブな考え方には学ぶべきところがある。現代日本においては、これだけのポジティブさを兼ね備えられたら、日常生活をどれだけ楽しく、有意義に過ごせるのかと思ってしまう...

「スローなブギにしてくれ」 ~バブル前の退廃的バラック生活の情景

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 「スローなブギにしてくれ」はこれまで名前だけは知っていたが観たことがなかった。強いていえば、同名タイトルの主題歌がいい味を出しているので、その当時としては最先端を行くおしゃれな映画かと思っていた。  この映画、Youtubeに投稿されていいたので見てみた。  (感想)  この映画のロケ地と思われる福生には、朝鮮戦争を契機に米軍向けに提供した平家の簡易アパートが数多くあり、横田基地も近いことからちょっとした米国を味わえる場所でもあった。  しかし、80年になると老朽化も相まって、バラック的な色彩も帯びていた。ちょっと古びたバラックアパート。これがアパート初期の提供時の昭和20年代後半か30年代なら相当おしゃれな物件であったのは間違いない。   この映画のみどころは、バブル前の日本のバラックな風景、それは戦後の焼け野原からつづく日本の風景でもある。そういった人々の情景が余すことなく映し出されている。  こういったバラックのような家は、バブルを境に都市の再開発の名目のもと消えていく。バブル以降、日本は失われた30年と言われるが、日本人は間違いなくバブル前に比べたらずっと豊かになっている。あるのは、あの頃と比べ人々の心が不安に満ちた社会になったことだけだ。  逆に今の30代以下の人から見ると、新鮮な光景に映るのではないか。 1981年にこの映画はクランクインされた。日本はこの先、バブル経済に突入する。音楽では山下達郎や大瀧詠一が、おしゃれで洗練された街並みを舞台にした人々の生活を描いていた。そういった情景は90年代になると現実化する。 そう考えると、この映画は70年代までの日本人のちょっとした粋な生活情景を色濃くくみ取った作品でもある。

マイケル・ジャクソンの功績を考える

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(莫大な死後収入) “キング・オブ・ポップ”と称されるマイケル・ジャクソンの偉大さは、死後においても際立っている。生前は、死後収入ランキングの常連としてエルヴィス・プレスリーが1位を維持していたが、マイケルの死後は約10年間にわたり、常に1位または2位をキープし、年間1億ドル以上の収入を得ていた。近年では収入が5,000万ドル前後に落ち着くこともあるが、それでもエルヴィスを上回る水準を維持している。 ちなみに、ジョン・レノンはビートルズの印税を含めても年間1,000万〜2,000万ドル程度で推移していることを考えると、マイケルは死後においても圧倒的な存在感を放ち続けていると言える。 (アルバム面での評価) マイケルが発表したオリジナルアルバムは実質6枚だが、いずれも世界的なメガヒットを記録している。没後もその音楽は人々に忘れられることなく、継続的な収入を生み出している。エルヴィス・プレスリーと並び、アメリカを代表するアーティストであることは間違いない。 しかし、ローリングストーン誌が発表した歴代ベストアルバム(2020年)では、「Thriller」が12位、「Off the Wall」が36位、「Bad」が194位と、意外にも控えめな評価に留まっている。ビートルズが9枚、ボブ・ディランが8枚ランクインしていることを考えると、マイケルの評価は過小ではないかと感じられる。 「Dangerous」や「HIStory」は、ビートルズの「A Hard Day’s Night」や「Meet the Beatles」よりも芸術性に富み、完成度も高い。少なくとも「White Album」と同等の評価を受けても不思議ではないだろう。ただし、こうしたランキングは時代背景やリスナー層の変化に左右されるため、定性的な評価とは言い切れない。マイケルの作品がビートルズのように世代を超えて評価され続けるかどうかは、今後10年、20年の時間の経過を見なければ分からない。 (マイケル・ジャクソンの凄さ) マイケル・ジャクソンの凄さは、同一人物が手がけたとは思えないほど、アルバムごとに音楽性が大きく変化している点にある。彼はキャリアの中で三度の“脱皮”を遂げており、こうした変貌を成し遂げたのは、ビートルズを除けばほとんど例がない。 1970年代の『Off the Wall』は、当時のソウル・ミュージッ...

人生最後の夢(短編小説)

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 彼の命は、残された数日を静かに刻んでいた。病室のベッドに横たわりながら、彼の脳裏には、これまでの人生の移ろいが次々と浮かんでは消えていった。小学校で勉強に励み、努力を重ねて一流大学に進学。卒業後は名の知れた大企業に入社し、役員にまで昇進した。すべてが順風満帆だった。しかし、数年前に妻を亡くし、子どももいない。親戚もほとんどおらず、晩年は孤独な日々を過ごしていた。そして今、自分自身もこの世を去ろうとしている。  彼は、自らの人生がまるで一片の花のように儚く、美しく、そして散っていくものだと感じていた。「とうとう自分も土に還るのか」——そんな思いが胸をよぎる。どれほど努力して築いたものも、あの時の感情も、すべては移ろいゆく。人生の無常を痛感しながら、彼の心にはただ、お釈迦様の言葉だけが深く染み入っていた。  彼は、人生最後の夢を見ていた。そこには、部長になりたての自分がいた。あの頃は仕事に情熱を注ぎ、事業部長を目指してライバルと競い合い、小さな派閥を築いては一国一城の主のように振る舞っていた。自分に逆らう部下には容赦なく人事の鉄槌を下し、ライバルを蹴落とすように仕向けていた。夢の中で彼は、そんな部長時代の最も醜い自分にタイムスリップしていた。今思えば、あの時に鉄拳を加えた部下や、敵視していたライバルの方が、正しかったのかもしれない。彼は、ただ階段を一段でも上り、他人より優位に立つことだけを生きがいとしていた。しかし、出世の限界が見え始め、出向の話が現実味を帯びてきた頃、かつての情熱に満ちた会社の姿は、どこか遠いものに変わっていた。後輩たちがかつての自分のように、意地悪く出世競争に邁進する姿を見ると、恥ずかしさが込み上げてきた。そんなある日、彼が嫌っていた部下が仕事の相談に訪れた。彼は怒りをぶつけ、その数ヶ月後にその部下を関連会社へ出向させた。しかし今の彼は、その部下に優しく接し、出向も取り消したいと思っていた。それでも、口は気持ちに反して怒りの言葉を吐いてしまう。  過去は変えられない——その瞬間、彼は病室の自分に戻っていた。そういえば、会社の同僚ともここ数年会っていない。年賀状も、かつては数百枚やり取りしていたが、今では十数枚にまで減っていた。一年前、会社の前を通ったとき、出てきた社員は誰も知らない顔だった。一人は役職者で、もう一人はその部下らしい。社会人ら...

人生のいたずら(学歴編)(短編小説)

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 鈴木亮平が東京大学の赤門をくぐった日、彼の未来は輝かしい光で満ちているように思えた。地方の小さな町工場で働く両親のもと、ただひたすら勉強に打ち込み、手に入れた最高の学歴。卒業後、日本を代表する大手総合電機メーカー「帝光電機」に入社した時、亮平は自分がこの国の産業を動かすエリートの一員になったのだと確信していた。 社会人5年目、高校大学時代の友人の集まりで、亮平は田中健太と再会した。日本大学出身の健太は、裕福な家庭に育ったお坊ちゃんという印象しかなかった。 「健太は今、何してるんだ?」 ハイボールのグラスを傾けながら、亮平は聞いた。その口調には、国内最大手のメーカーで働く者としての自負が滲んでいた。 「小さな中小企業だよ。太田精機。相変わらず、ちまちま部品作ってる。君の会社からも厳しい納期と品質の要求を突き付けられ、昨日は徹夜でなんとか納品にまで漕ぎつけたんだ」 健太はあっけらかんと笑った。精密部品を作る町工場。亮平の頭には、油の匂いが染みついた薄暗い作業場のイメージが浮かんだ。 「俺は今、東南アジア向けの白物家電の開発チームにいるんだ。年間数百万台を売るビジネスだから、責任も大きいよ」 亮平がそう語ると、周りの友人たちは「さすが東大卒は違うな」と感嘆の声を上げた。その賞賛の輪の中心で、亮平は優越感に浸っていた。健太は、そんな亮平を黙って見て、楽しそうに笑っているだけだった。亮平にはそれが、自分の土俵で勝負できない者の負け惜しみに見えた。 それから20年の歳月が流れた。世界は、亮平が想像していたよりも遥かに早いスピードで姿を変えていた。 帝光電機という巨大な船は、時代の荒波の中でゆっくりと傾き始めていた。かつて世界を席巻したテレビやオーディオ事業は、新興国メーカーとの価格競争に敗れ、見る影もない。亮平が心血を注いだ家電部門も、IoTやAIといった新しい波に乗り遅れ、大規模なリストラの対象となった。 亮平自身も、希望していなかった子会社への出向を命じられた。給料は下がり、仕事はかつての栄光を知る者にとっては屈辱的なルーティンワークばかり。社内には諦めの空気が漂い、優秀な同期は外資系コンサルや新興のIT企業へと次々に去っていった。自分が信じてきた「安定」という名の船は、ただ沈没を待つだけの泥舟に変わり果てていた。 そんなある日、亮平は高校の同級会で健太に久しぶり...

独身男のタイムスリップ恋愛(短編小説)

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 健太、三十歳、独身。システム開発会社で働く、ごく平凡なサラリーマンだ。平凡と言えば聞こえはいいが、その実態は、女性との縁が全くない「モテない男」そのものだった。会社の飲み会では、女性社員の輪に入れず、壁際でハイボールの氷を意味もなくかき混ぜるのが定位置。勇気を振り絞って話しかけても、「あ、はい」「そうなんですね」という短い相槌のあと、会話は静かに終わりを告げる。女性たちが向ける笑顔は、愛想笑いか、あるいは憐れみのそれ。健太は、自分が彼女たちの世界の「背景」でしかないことを、痛いほど理解していた。 ある週末、健太は気分転換に浅草を訪れた。そこで、古道具屋の軒先に置かれた一つの懐中時計に目が留まった。店主の老人が「面白いものだろう。大正時代の職人の作だよ」と声をかけてくる。健太は、ほんの少しの高揚感を覚え、それを購入した。 アパートに帰り、早速懐中時計をいじってみる。突然、時計がカッとまばゆい光を放った。同時に強烈なめまいに襲われ、健太の意識は闇に吸い込まれた。  目覚めた時、健太は知らない路地裏に倒れていた。体を起こして周囲を見渡すと、景色は一変していた。アスファルトの道はなく、土がむき出しの地面。行き交う人々は、着物や袴を身につけ、男は皆、帽子をかぶっている。遠くからは、路面電車がチンチンと鳴らす警笛と、威勢のいい呼び声が聞こえてくる。  呆然と立ち尽くす健太の前に、荷車を引いた男が通りかかった。「にいさん、道端で寝てちゃ危ねえぜ」。その言葉も、服装も、町の匂いも、全てが現実だと告げていた。どうやら、本当に過去に来てしまったらしい。時計の文字盤は、大正十二年を指していた。 途方に暮れた健太は、腹の虫を鳴らしながらとぼとぼと歩き続けた。そんな彼に声をかけたのは、一軒の八百屋の店先で大根を並べていた娘だった。 「あの…もしよかったら、これどうぞ」。 そう言って、ふかしたての薩摩芋を差し出してくれた。お千代と名乗ったその娘は、日に焼けた健康的な頬と、一点の曇りもない澄んだ瞳を持っていた。  健太は事情を話すわけにもいかず、「旅の途中で無一文になってしまった」と嘘をついた。お千代の父親である店主の清兵衛は、健太の人の良さそうな顔を見て、「行く当てがないなら、うちで働きな」と、住み込みで働くことを許してくれた。  それから、健太の人生は一変した。現代の女性を前にする...

眠れない夜 '(オフコース)

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ご存じの通り、オフコースの名曲だが小田のお茶目な歌詞がなんとも心地よい。 歌詞の内容は結構身勝手な男の気持ちを表現しているのが、 まず初めに、「たとえ君が僕にひざまずいて全てを忘れてほしいと涙流しても」 ここで彼女が自分に「ひざまついて」許して~。なんていっている情景はまさにコミカルです。 そして、「僕は君のところへ二度とは帰らない。あれが愛の日々ならもういらない」 気を使うだけの愛なんて、ない方がましである。今の自分もまさに同感です。 でも、二番目で小田らしい一面がにじみ出てきます。 「それでも君があの扉を開けて入ってきたら、~君のよこをくぐりぬけ飛び出してゆけるか、くらいくらい闇の中へ」 それは僕にはわからない これを見ると、相手のわがままに対する怒りから、妄想しているだけに過ぎない。つまり、モテ男の行動ではなく、愛にうまく行っていない男の叫びにもみてくる。 だから次に振り切ったら、それは「くらい くらい 闇の中へ」に向かう事になる。 ちょっと愛らしい歌詞です。ういったのっぺりとした歌詞に癒される自分がいます。