アルバム「マインドゲームス」の評論

 ジョンレノンが1973年に発表したアルバムで、「Sometime in NewYork city」の失敗を引きづった時期である。ポールはマイラブやバンドオンザランで本来の実力を発揮するようになり、ジョージはギブミーラブで全米一位を獲得し、リンゴも同様に全米一位の作品を発表し、さらにはビートルズのベストアルバムが企画発売され一位を獲得した。その4一方べジョンの「マインドゲームズ」は、自身の生涯における代表作であるにも関わらずセールス面ではトップテンにすらランクインされなかった。いかに世間がジョンから離れていったかを象徴するような結果と言える。

 しかし、冷静な目でこのアルバムを聴いてみると、「あいすみません」などで米国的な街角を感じさせるなど過去の作品(イマジンやジョンの魂など)とは異なる新しい領域を切り開いている。さらに、かつてのジョンなら一蹴したでろう女性歌手が歌いそうな甘ったるいバラード「one day」すら披露している。まさに、同一人物の作品とは思えない曲域の広さは天才のなせる業であるが、逆にこういった一貫性のない作品作りに対し、その当時のファンは追いつけなかったといえそうだ。

 さらに、完成度という点でも、アウトザブルー、ユーアーヒア、ブリングオンザルーシーなどの好素材の楽曲が目立つのだが、ビートルズの楽曲目線で評価するなら、イトル曲「マインドゲームス」を除いて、他の曲は中途半端で終わらした感じが否めない。そのため、アレンジは表現力に欠け、ボーカルにも説得力がない。 私が思うにこれら作品は、ビートルズ時代ならポールや他メンバーの協力を経ることで、ホワイトアルバムの作品と引けを取らない佳曲に仕上がってであろう。

 

 僕独自の評論だけでなく、ジョン自身も「自分はソロアルバムを出すごとに作品の質が低下してしまった」と発言している。しかし、作品の質が低下したのでは、1973頃以前に発表した曲はビートルズ時代、またはビートルズ解散期のストックであり、作品の完成度はほぼビートルズ時代と言ってよかった。しかし1973年頃からの発表曲は、ソロになってから生まれたものであり、ポールやジョージとの面々との曲つくりにおける競い合いから生まれたものではない。

 このことはビートルズの他の面々にも当てはまり。1973年を境に楽曲のインスピレーションや表現能力の衰えだけでなく、明らかに中途半端な出来のままレコード化しているのは他のメンバーも同じではあるが



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