小説 寂寥(2回) 幸せの意味を問う
管理人は、彼が以前住んでいた街に赴いて、その邸宅を見に行った。閑静な住宅街の一角にその邸宅はあり、社会的にある程度の成功を得なければ住めるような場所ではなかった。そして、写真と同じたたずまいの邸宅は、写真の刻印は確か25年前であったが、今もって外観もリフォームされて立派な豪邸の佇まいを残している。玄関口から品のよさそうな女性が出てきた。そして庭の花に水を与えていた。しかし、それは写真での彼の妻らしき人ではない。どうも、別の家族が住んでいるようだ。写真には、庭にブランコがあって彼の子供と妻が楽しく遊んでいる様子が描かれていた。そんな子供たちも今は大きくなっているのであろう。 日記と思しきノートを読んでいくと、彼の人生の中ではちょうどこの頃が最も幸せだったように思われてならない。日記から読み取れる言葉の一つ一つに幸せがにじみ出ているようだった。彼は、そこから転落の人生を歩むのだが、彼の心の中には、この邸宅の幸せなひと時が、彼に人生において心の中の映像として暮らしているように思えてならなかった。だから、それ以降の人生は、いわばそういった楽しい時期の思い出に包まれながら様々な苦難を耐え忍んでいたのであろう。鏡で見る自分は往年の好男子ではない。今は枯れた醜い初老の風貌だ。しかし、心の中での彼は、邸宅にたたずんでいた頃の彼なのだ。この住人が人生前半の幸福や悪事を、この邸宅の幸せな人生を起点として、人生後半には償うようにして全てが逆回転していき、人生のプラスマイナスを相殺して亡くなった。それでも何のくいを残す素振りもない。管理人は、そんな彼のノートの読み解くうちに、幸せの意味を自分に問いただした。本当の幸せとは、その人に人生にとって、暖かく囲ってくれる妖精のようなものだと。
人生にさしたるプラスマイナスもなく、本当の幸せを感じることがなく、今もって年甲斐もなく煩悩に苛まれている自分との違いに言葉を出すことすらできなかった。
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