(音楽評論)ジョン&ヨーコの軌跡(ビートルズ解散と聖人への出発)

 〇映画「ゲットバック」

 2022年秋にゲットバックがリリースされた。この映画はこれまでのビートルズ解散の所説を覆す情報も多く。世界の多くのビートルズ研究者については生唾ものであったであろう。

 このゲットバックセッションは、言い方をかえればポールの創作能力が頂点に達した時期であり、「LET IT BE」ではグループを何とか維持しようとするポールに対し、3人が辟易しながら投げやりな演奏を延々と続け、その散漫に録音されたテープをフィルスペクターによりなんとか発売できるレベルにまでに至った。というシナリオになっていたのだが、この映画「ゲットバック」では、4人は最後の最後まで協力し楽曲製作や演奏を行っていたという違った事実を見せつけられます。

 こういうのを見せられると、世の中には数限りない偉人の逸話があるが、その中には真実と大きく乖離されているものも少ないのでしょう。

〇解散直前のジョンの立ち位置

 1969年のビートルズは実質にはポール主体のバンドになっていた。ジョンは、ヨーコとの活動に新しい自分を探し始めたことから、ビートルズという存在に離れたいが、存在が大きすぎて中途半端になってしまっていた。さらに、西欧諸国と言えども、ファンはビートルズジョンという貴公子に対し、保守的な西欧人女性をフィアンセとして求めており、ジョンはそれを裏切るように、ウーマンリブを掲げるアバンギャルドな東洋人女性を選んだことで、ジョンへの風当たりも強かった。そういった鬱積が、ヘロインにまで走ったのでしょう。

歴史のいたずら

 ビートルズ解散から1980年までのジョンレノンの評価は、ライバルのポール・マッカートニーとの楽曲の争いに焦点を置かれており、ビートルズ作品と言うことでは圧倒的にポールに差をつけられた感があり、ジョンとヨーコのLovePeaceプロジェクトは、生前はそれほど評価されなかった。実際、ジョンレノンが凶弾に倒れた時、イマジンではなくミッシェルやイエスタディを流してその模様を報道していたほどである。しかし、21世紀以降になると人々の音楽の趣向も変わりはじめるのに併せて、これら活動と作品群が再評価され、ビートルズ作品並みに取り扱われるようになった。

そして、日々ニュース番組で流されるプロテスト映像とジョンの楽曲(power to the People)が重なりって、平和活動家としてのジョンが偶像化され、偉大なる聖人にまで押し上げられた。今、私達がイメージするジョンは、ビートルズジョンだけでなく、イマジンを歌う聖人としてのジョンになってしまった。

〇ヨーコ・オノの良き代弁者

ヨーコ・オノは、金持ちの令嬢であり、筋金入りの前衛芸術家であり、他人が驚くくらいの男勝りでプライドが高かった。彼女自身については、今を持ってしても多くの人にとって理解しがたい部分も多いが、彼女自身が天才であるのは間違いない。なぜなら、今のジョンの名声は彼女の思想を具体化したものにすぎないからだ。Love&peaceもイマジンもヨーコなしでは生まれなかったとい皮肉がある。しかし、同じことをしても、ジョンだけが評価されヨーコにはだれも見向きもしない。世の中とはそういうパラドックスにまみれた不思議な世界なのです。



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