高度成長期のサラリーマンの夢が詰まった無責任シリーズ
1.高度成長期の逆説的なテーマ
植木等の役柄は、非常にいい加減で無責任な男なのだが、映画では真面目な奴を差し置いて、トントン拍子で出世し、しまいには、会社で一番の美女と結ばれます。ある意味、サラリーマンのおとぎ話です。しかし、それは日本が高度成長期をモーレツサラリーマンとなって駆け抜けていた時代のアンチテーゼでした。
この時代は日本全体が企業中心の社会で、企業で出世する事が人生の目的化してました。価値観が多様化した現在から見れば、時代の隔たりを感じます。
2.「課長島耕作」は現代版の無責任男
この主人公は、スタンドプレーが得意でコツコツの猛烈サラリーマンを茶化すような設定が見え隠れしているところが映画の見どころです。しかし、本当に真面目なのは植木等が演じる「平均」であり、常に会社の事を考え、スタンドプレーを徹して手柄を取ろうとする。実際、そういう奴は古今東西でどこにでもいる(困ったものです。。。)のですが、低能な人間が出世するストーリーはお笑い映画ではあるものの、今の日本企業の低迷ぶりを見ると、ちょっといただけないような感じもします。
話はそれますが、「課長島耕作」も形を変えた無責任シリーズの植木等です。時代はバブルなので、耕作はワインが似合うイケメンでキザな設定となっているが、彼自身の実力は無いに等しく、ひたすら運とスタンドプレーの言いとこ取りで出世をしていく。主人公をイケメンとシリアスに差し替えたに過ぎません。 どう見ても、「課長島耕作」程度の社員が世界を舞台にする初芝電機の表舞台に立ってはいけません。この設定、まさに今の日本のエレクトロ二クス産業の低迷を代弁しているようなものです。
3.高度成長期の日本を堪能
この映画では、高度成長期の日本を堪能できます。生ピアノが流れるバー。そして、歌手の生の歌が聞くことができるバー。この時代の娯楽は、どうしてもお酒絡みかゴルフが中心です。お店のママに入れ込みパトロンになる設定も、社会的なステータスとしての憧れだったのでしょう。
あと、ふけるのも早い。威厳のある上司でも実際は40歳代そこそこです。いまの時代は、40代でも青年風の容貌も少なくありません。単に寿命が延びたという裏返しかもしれませんが。。。50代だろうが、60代だろうがアンチエイジングでいられた方がいいものです。それが原因で上司に毛嫌いされても、価値観が多様化した現在においてはそれはそれでよいのです。
4.サラリーマンが青春だった時代
明日になれば今より良い生活ができることを確約されていたような時代。映画の世界を飛び出しても、この頃の日本企業は、高度成長期で年々会社の規模が大きくなり、日本が片付けば海外進出。お前を海外法人に行かせてやるぞ。なんて会話は日常茶飯事。そんなピラミッド型の会社運営が機能していた時代です。いい時代ですね。
この時代の映画をみると、女性の口説き文句に「僕は出世して、社長のような豪邸に住んで君を幸せにするよ。」とか「僕は、この会社に勤めて、リオデジャネイロで大きな船を設計するんだ。そして君と一緒に」などが出てきます。そういった時代背景から人々の顔にそれぞれの夢が見え隠れしています。ある意味幸せな時代であったという事も言えます。
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