投稿

ジョージのMySweetlordは大瀧詠一的盗作手法

イメージ
 ジョージの「My Sweet lord」は、The chiffons「 He's so fine」と瓜二つ。結局裁判で負けて盗作になってしまう。そもそもジョンもポールも他人の曲をコード進行を引用しながら別の曲に仕上げてしまうことが珍しくなかったので、そういった点ではジョージも忸怩たる思いであろう。 𝙏𝙝𝙚 𝘾𝙃𝙄𝙁𝙁𝙊𝙉𝙎𝙂𝙀𝙊𝙍𝙂𝙀 𝙃𝘼𝙍𝙍𝙄𝙎𝙊𝙉 - My Sweet Lord / 𝙏𝙝𝙚 𝘾𝙃𝙄𝙁𝙁𝙊𝙉𝙎 - He's So Fine - stereo  こういった手法を表向きにしていたのが大瀧詠一。この人の作品の多くは誰かの作品の引用だらけ。  でも、ジョージと共通することは原作以上の作品に仕上げているところ。ジョージの「My Sweet lord」は原作より高い完成度と芸術性を兼ねしなえている。もし、「My Sweet lord」が先に発表されていたら。「He's So Fine 」はあきらかにパロディレベル扱いである。  大瀧詠一も同様で、だからこそファンは彼の作品を崇めている。

古き良きタイランド

イメージ
 youtubeは便利です。 発展が著しい東南アジアの昔の姿をパンパシフィックエアラインが旅行者視点から撮影したビデオ。 こういったビデオは非常い貴重です。 古き良きアメリカ人の海外旅行の雰囲気を感じ取れるだけでなく、ザ元祖リッチパッケージツアーも垣間見ることができます。  世界中で古き良き景色がなくなっていく。寂しいですね。

「黒革の手帳(1982)」での山本富士子の女優の迫力

イメージ
 「黒革の手帳」は幾度にわたってテレビでリバイバルされている名作です。私は、1982年版が原作の雰囲気を表していると思う、  銀座のクラブはかつては、社会的な成功者の集う場所、しかし、21世紀になると成功者はIT業界にシフトしていくことで次第に活気もなくなってきた。まさに、時代の流れというものです、 田村正和も、ブレイク前ですが金持ちの御曹司役が何とも似合います。 1982年版の見どころは、山本富士子の演技力。地味な銀行員ではまさにすっぴん姿を披露する一方、クラブのママでは化粧をばっちりして妖艶な姿を見せます。女優というのは、どんな役でも魅力的にこなすということでしょうか。            

チャーリーパーカによるJAZZのロックンロール的進化

イメージ
私はSMOOTHJAZZを好んで聞きますが、たまにはチャーリーパーカの力強いJAZZも聞きたくなります。  まさにJAZZをロックンロールに仕立てあげたような力強い演奏が何とも言えません。音質も80年前なのでよくはないのですが、それが不思議と快さが感じさせられます。  都会の夜景を眺めながら、こういった古めのJAZZを聴くことは何にも代えがたい極上のひと時です。私にとっては!   

黒く塗りつぶせ アウトローな矢沢永吉

イメージ
矢沢節がさく裂がするこの作品。 迫力がありすぎで、若い時にこの歌を聞いたら、はっきり言って怖いくらいだが、この年になって聞いてみると、力強い歌声が何とも言えない。 歌詞の中の そうさ朝から晩まで Night&Day いつも働きっぱなし Night&Day まるで犬ころみたいさ Night&Dayなのにもんなし Night&Day シャクな金持ちどもを みんな黒く塗りつぶせ  労働者階級的な反骨精神が何とも言えない。こういった歌詞を上手に表現できるのは、矢沢永吉の生い立ちからくる匂いなんだろうと思うけど。今の日本人ではこのような匂いを醸し出せる人はいないくなりました。    労働者階級の叫びがロックの源泉であることをまざまざ見せつけられるよなフレーズです。   

アルバム「マインドゲームス」の評論

イメージ
  ジョンレノンが1973年に発表したアルバムで、 「Sometime in NewYork city」の失敗を引きづった時期である。ポールはマイラブやバンドオンザランで本来の実力を発揮するようになり、ジョージはギブミーラブで全米一位を獲得し、リンゴも同様に全米一位の作品を発表し、さらにはビートルズのベストアルバムが企画発売され一位を獲得した。その4一方べジョンの 「マインドゲームズ」は、自身の生涯における代表作であるにも関わらずセールス面ではトップテンにすらランクインされなかった。いかに世間がジョンから離れていったかを象徴するような結果と言える。  しかし、冷静な目でこのアルバムを聴いてみると、「あいすみません」などで米国的な街角を感じさせるなど 、 過去の作品( イマジンやジョンの魂など)とは異なる新しい領域を切り開いている。さらに、かつてのジョンなら一蹴したでろう 女性歌手が歌いそうな 甘ったるい バラード 「one day」すら 披露している。まさに、同一人物の作品とは思えない曲域の広さは天才のなせる業であるが、逆にこういった一貫性のない作品作りに対し、その当時のファンは追いつけなかったといえそうだ。  さらに、完成度という点でも、 アウトザブルー 、ユーアーヒア、ブリングオンザルーシーなどの好素 材の楽曲が目立つのだが、 ビートルズの楽曲目線で評価するなら、 タ イトル曲「マインドゲームス」を除いて、他の 曲は中途半端で終わらした感じが否めない。 そのため、 アレンジは表現力に欠け、ボーカルにも説得力がない。  私が思うにこれら作品は、ビートルズ時代ならポールや他メンバー の協力を経ることで、ホワイトアルバムの作品と引けを取らない佳曲に仕上がってであろう。    僕独自の評論だけでなく、ジョン自身も「自分はソロア ルバムを出すごとに作品の質が低下してしまった」と発言している 。しかし、作品の質が低下したのでは、1973頃以前に発表した曲はビートルズ時代、またはビートルズ解散期のストックであり、作品の完成度はほぼビートルズ時代と言ってよかった。しかし1973年頃からの発表曲は、ソロになってから生まれたものであり、ポールやジョージとの面々との曲つくりにおける競い合いから生まれたものではない。  このことは ビートルズの他の面々にも当てはまり。1973年...

海外旅行好きにはたまらないルパン3世

イメージ
 ルパン3世は私の好きなアニメの一つです。好きな点としては、ルパン3世は主に海外を舞台にしている。とくに南欧のおしゃれな街並みや港やビーチを背景にしていることも多く。それが私の心を爽やかなものにさせてくれる。同じ内容のストーリーでも舞台が日本になってしまうと不思議と魅力がトーンダウンしてしまいます。フランスやイタリアの街並みって本当に素敵だと思います。  ルパンpart5の1話から5話までをYoutubeで限定配信しています。見どころは、ルパンが最新のIT技術を駆使してお宝を手にする設定。ルパン3世は1971年から放映しており半世紀にわたっています。ルパンの魅力を維持している要因としてお宝をゲットするテクニックをその時代の最高技術に焦点を当てているところ。これが、見る者にとって古臭さを感じさせず思わず見入ってしまいます。  南欧やビーチリゾートの香りに包まれながらストーリは進んでいく。本当に気持ちが良いものです。

アジアンテイストな街並みが魅力な清潔で安全な国(日本)

イメージ
外国のような階級社会だと、高級店のスタッフはエレガントな対応を期待できるが、店の質が下がってくるとそれに伴って店員の対応も下がってくる。日本の店員のサービスは、どの店でも海外なら高級店並みに丁寧な対応してくれる。それが「おもてなし」として賞賛されるのだが、これは日本人の国民間での階級差がないことから来ているものだ。  今となっては、タイ、マレーシア、台湾、韓国、日本の街並みはみな同じになってきた。バンコクもクアラルンプールも台北やソウルも中心地になればばるほど、東京や大阪と変わらないビルが乱立している。こうなったのも、日本企業が他アジア諸国に日本同じようなとビルや街並みをつくったのが原因なのではあるが、  外国人のインバウンド客をみていると外国人は浅草のような下町にある日本古来の街並みのオリエンタルテイストを求めているようだ。それは、タイやシンガポール、そして台湾の旅行客すら、いまや日本古来の風景を求めて日本にやってくる。最近は、日本が先進国であるのかすらわからなくなっています。

菊川怜が3人の母親であることについて

イメージ
  菊怜は、東大卒の才媛グラドルの先駆けで三拍子そろった美女であるが、芸能人としてのアクの強さに乏しく、東大卒の知性をアピールするくらいしか特徴がなかったため、大きな飛躍ができていない。あと残るのは、知名度を生かして政治家になる道だ  こういった人になると釣り合う人を探すのに苦労し、長らく独身を続けていたが、40歳前に青年実業家と結婚し、高齢出産であるが続けざまに3人の子供を産んだ。子供が好きで計画的な出産でしょう。    高学歴女性は向上心が強く、結婚もせず独身のまま社会エリートを貫いたり、結婚しても子供を持つことなく社会で頑張る人も少なくない。  私は、菊川怜に増え続ける高学歴女子の母親の演じ方の見本になってほしいと思っている。    女性は、子供を産むと母親という生き物になり、ひたすら子供を愛して 20 年から 30 年の月日が流れていく。 菊川怜も一番下の子が大学卒業するころには60歳を超える。いい年だ。  女性が子供を産むのは人間にとって子孫を残す重要な役割となる。科学の発展により、 100 年後には人工授精が一般的になり、故人を含めた優秀な人の精子や卵子を使って子どもを産むことが当たり前になるかもしれない。それ位に今の科学技術の発展は著しい。

 短編小説 寂寥(2回) 幸せの意味を問う

  管理人は、彼が以前住んでいた街に赴いて 、 その邸宅を見に行った。閑静な住宅街の一角にその邸宅はあり、社会的にある程度の成功を得なければ住めるような場所ではなかった。そして、写真と同じたたずまいの邸宅は、 写真の刻印は確か25年前であったが、今もって 外観もリフォームされ て立派な豪邸の佇まいを残している。玄関口から品のよさそうな女性が出てきた。そして庭の花に水を与えていた。しかし、それは写真での彼の妻らしき人ではない。どうも、 別の家族が住んでいるようだ。写真には、庭にブランコがあって彼の子供と妻が楽しく遊んでいる様子が描かれていた。そんな子供たちも今は大きくなっているのであろう。  日記と思しきノートを読んでいくと、彼の人生の中ではちょうどこの頃が最も幸せだったように思われてならない。日記から読み取れる言葉の一つ一つに幸せがにじみ出ているようだった。彼は、そこから転落の人生を歩むのだが、彼の心の中には、この邸宅の幸せなひと時が、彼に人生において心の中の映像として暮らしているように思えてならなかった。だから、それ以降の人生は、いわばそういった楽しい時期の思い出に包まれながら様々な苦難を耐え忍んでいたのであろう。鏡で見る自分は往年の好男子ではない。今は枯れた醜い初老の風貌だ。しかし、心の中での彼は、邸宅にたたずんでいた頃の彼なのだ。この住人が人生前半の幸福や悪事を、この邸宅の幸せな人生を起点として、人生後半には償うようにして全てが逆回転していき、人生のプラスマイナスを相殺して亡くなった。それでも何のくいを残す素振りもない。管理人は、そんな彼のノートの読み解くうちに、幸せの意味を自分に問いただした。本当の幸せとは、その人に人生にとって、暖かく囲ってくれる妖精のようなものだと。   人生にさしたるプラスマイナスもなく、本当の幸せを感じることがなく、今もって年甲斐もなく煩悩に苛まれている自分との違いに言葉を出すことすらできなかった。