チャップリンの映画で笑いの原点を楽しむ
チャップリンは映画界の黎明期を支えた偉大なる喜劇王で、その名声は現在においても風化することはありません。
チャップリンの映画はトーキーではないので、しぐさや動作で聴衆を笑わせます。言葉による笑いに慣れてしまった私には、これがことさら新鮮に映ってしまいます。
でも、動作やしぐさで面白さを伝えるには、どうしてもオーバーアクションになりがちで、映画を何本か見ていくとどの構成もドタバタなストーリーに帰着します。
一方、言葉による笑いは、その当時の世相など人々の共有感を理解しないと何が面白いのかわかりません。例を挙げれば、昭和初期や昭和30年代のお笑い芸人のギャグを聴いても笑いにつながることはありません。それは80年代の漫才ブームでも同じです。あれだけ面白い言われるビートたけしなどの漫才を見ても、時代が変わっているのでギャグの面白さが直接的に伝わってきません。
さらに国をまたっても、その国の風潮や文化などでギャグの面白さの度合いが変わってきます。笑いというのは意外にもローカルな範囲でしか響かないものです。
そういった意味では。チャップリンの笑いは、時代を超えて受け入れられるだけでなく、老若男女問わず受け入れられる要素があります。私自身でさえ、今もって面白いと感じます。また、その芸風はドリフターズに大きく影響を与えているような、特にカトちゃんなどの芸風に似ているような?
現代のお笑いに疲れた時は、チャップリンの映画で、喜劇の原点というべき、無声のドタバタ劇で笑い転げるのもよいでしょう。笑いに対する新しい発見に巡り合えます。
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