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短編小説 砂上の楼閣

 彼は幼い頃から貧しいバラック家で育った。小学校の時は、友達の家に行くと、そこには家族旅行、誕生日会、子供部屋、沢山のゲーム等を見せつけられ、彼は自分の家の貧しさに心が締め付けられる思いだった。ただ、勉強ができたので周りに蔑まれずに済んだ。高校も地元の進学校に通い国立大学を目指したが叶わず、名門私立に通うことになる。当然であるが、学費を賄える家ではな。大学生活はバイトに明け暮れる毎日であった。  大学卒業後は、IT企業に就職した。そこで起業を目指す同僚に感化され、一緒に会社を興す。彼はそこで一生にわたってお金に困らない人生を目指すようになる。運よく会社は時流に乗り、順調に成長し、IPOにまでこぎ着け、彼に数億円か転がり込むようになる。彼は東京の一等地のタワーマンションの最上階を購入し、そして元女優の妻を娶る。まさに時の人である。そんな夢のような月日が30年間続いた。しかし、時代はかわり、会社は次第に時流に追いつかなくなり、新興企業との競争に後塵をはいするようになった。しかし、彼は昔の成功体験をなぞるように繰り返すだけで、時流に合わない経営方針に社員は振り回され、倒産寸前になった。メインバンクは、会社を倒産させるか、銀行主導での再建かを提示した。当然であるが、彼の退任と100%減資が条件である。つまり、無一門を突き尽きられたのだ。彼は、幼少期のデジャヴのような生活に戻り、会社も数年後には銀行主導で大手に買収された。土から土に戻るような状態に戻り、バラックのようなボロアパートでひっそりと亡くなった。その頃には誰も彼の事を知る人はいなかった。

短編小説 寂寥(3回) 南国の楽園

  ノートの最初の方には、彼の華々しい記録が残っている。ノートに はたどたどしい言葉でかいているが、それを小説家に渡してリメイ クすれば、間違いなく映画化してもおかしくないほどの代物だ。  住人は日記の中で、普通の人では体験できないような、まるで映画 のワンシーンのような青春を送っていたようだ。管理人は、 その後住、悪臭漂う住人の部屋で興味津々と日記を読み始めた。 日記には、真夏の南国の出来事がつづられていた。場所は東南アジ アのとあるビーチ。その日は、炎天下の続く夏の日だった。 住人は、ホテル備え付けのプールのデッキチェアーに寝そべってい た。昨日はナイトクラブで朝まで酒を飲みまくって騒いだ。二日酔 いでクラクラする。涼しげな波の音と頭痛が交互に襲うような気分 だ。しかし、気が付くと9時なので朝食を食べにレストランに向か う。昨日の酔いを醒ますかのようにマンゴーの入ったトロピカルジ ュースを飲み干す。少し酔いが醒めてくるのと同時に朝の涼しさを 感じた。すると今度は生暖かい風が彼をいちめんにまとわりつく、 これこそ南国ならではの爽快さである。トーストをかじりながら、 昨夜のことを思い出そうとする。しかし、思い出すことができない 。余程吞み潰していたのであろうか。そうしていると事業仲間のチ ャンがやってきた。昨夜の自分の態度に少し怒っているようだ。で も思い出せない事は思い出せない。日記に張り付けられたチャンの 写真を見ると、遊び人風であるがなかなかの好男子であった。二人 は仕事仲間であり、悪友達でもあった。夜な夜な南国の酒場で羽目 を外していたことが日記から伺える。そばにある写真を見渡すとそ の写真に一緒に写っている女性はたくさんあり、 それらを数えていくと数十人は優に超えていた。その頃の住人は映 画俳優を思わせるほどの容姿であった。日記にはこれらは女性から 口どかれたと書かれている。住人の写真を見る限り、 それはまんざら誇張でなさそうだ。しかも、写真に写っている女性 は一定レベル以上の美貌の持ち主でもあった。住人と女性の移った 写真は広告に掲載されているような理想的な男女像のモデルと変わ らなかった。それだけでない写真の写り方から一定以上の関係をも っていたような写真も少なくない。これでは現世での極楽浄土では ないと管理人は興奮した。住人は妄想の世界のよう...

短編小節 隣の芝生

  彼は平凡な二流大学を卒業し、二流の会社に就職した。人一倍正義感が強く、何事にも真面目に取り組む。しかし、皮肉にも結果が伴わない。その実直さゆえに、彼は結果の出ない自分を過剰に責め、自己評価をどん底まで落としていた。客観的に見れば、彼は決して無能ではない。見方によっては世間一般の「中からやや上」に位置するだろう。しかし、彼は絶対的な自己価値を認められず、常に他人と比較しては、エリート層や成功者、自分より先に出世した同僚を羨んでは「自分は最低だ」という劣等感に苛まれていた。  「自分ばかりが貧乏くじを引いている」そんな思考はいつしか負け意識と不安の塊となり、彼の心を蝕んだ。全てを否定的に捉える「うつ状態」に陥った彼はある日、絶望の淵を彷徨うように公園の小さな森を歩いていた。池の水面に映る、不機嫌な自分の顔。その背後に、いつの間にか仙人のような老人が立っていた。「君の悩みを解決してあげよう。君のエネルギーを三段階上げてやろう」老人がそう告げた瞬間、景色が歪んだ。 第一の試練:富  気がつくと、三年の月日が流れていた。彼はネットビジネスで成功を収めた富裕層になっていた。 周囲にはポジティブな成功者ばかりが集まり、かつての友人のような愚痴や悪口を言う者はいない。だが、そこは安息の地ではなかった。慢心すれば競合に追い抜かれ、一瞬の油断が転落に繋がる。経営の重圧に心は休まる暇もなく、そのストレスを埋めるために月百万円の愛人を囲い、豪華な旅行を繰り返したが、虚しさは募るばかりだった。 タワーマンションの自室に帰っても、妻とは仮面夫婦。心の通わない「すました生活」があるだけだ。世間からは夢のような生活に見えるだろうが、実態は孤独な砂漠を一人歩いているのと変わらなかった。 第二の試練:名誉  次に彼は、会社の出世頭となっていた。だが、そこはアスリートのような仕事量と努力を強いられる修羅場だった。三百六十五日、ライバルを蹴落とすことだけを考え、脱落する恐怖に怯える日々。 その予感は最悪の形で当たった。次期役員に選ばれたのは、彼より能力の低い、専務の「太鼓持ち」だった。情実人事という社内政治の敗北。彼は不条理な世の仕組みを叩きつけられ、無能な上役の部下となった末に、子会社へ放出された。役員待遇とはいえ、魂が抜けたような抜け殻の人生だった。 第三の試練:愛  最後に、彼はスポーツ...

桑田佳祐の魅力を考える

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サザンオールスターズの魅力の根源は、青山学院大学(青学)を背景とした「学生バンド」としての空気感にあり、その世界観が多くの大学生の共感を集めてきた。代表曲「Ya Ya (あの時代を忘れない)」がリリースされた当時は、女子の大学進学率がまだ低かった時代である。男女共学の青学を舞台にした学生バンドの華やかな大学生活は、当時の若者たちにとって羨望の的であった。 もしこれが、早稲田・明治・法政といった当時の「男子校文化」の強い大学のバンドであったなら、同じ曲を歌ったとしても、世間の受け止め方は全く異なるものになっていただろう。 とはいえ、桑田が描く女性像は、青学出身者が抱かせるアッパーミドルな雰囲気とは一線を画す。そこには泥臭さがあり、決して良家の子女のような清廉潔白さはない。それは男性像も同様で、青学のイメージである「垢抜けて洗練された都会の男性」とは異なる。このギャップこそが、幅広いファン層を獲得できている要因だ。その源流は、母がスナックを経営しており、そこで働くホステスたちの人生を間近に見てきた経験にあるのではないか。だからこそ、桑田の描く人間像には独特の哀愁が漂っているのである。 そして、原由子の存在が極めて大きい。桑田の持つ「下世話」な部分を、彼女の存在や歌声が見事に中和している。いわば、女性ファンにも受け入れられる土壌を彼女が作っているのだ。もし原由子がいなければ、サザンは女性から敬遠され、一部の男性のみに支持されるバンドに留まっていた可能性が高い。 さらに、彼が「サザン」というバンドを大切にし続けている点も見逃せない。デビューから半世紀近くが経とうとしている今もなお、彼らの間には学生時代の延長のような雰囲気が漂っている。いつまでも仲間と和気あいあいと活動を続ける姿が、学生時代の自分を見失いかけている古中年以上のリスナーの心を揺さぶるのである。 結局のところ、桑田佳祐は決して天狗になることなく、周囲の人々を大切にすることで、結果として自分自身の評価を高めてきた。もし彼が原由子と離別したり、サザンを解散してソロ活動のみに専念したりしていたら、今のような国民的な存在にはなっていなかったであろう。人からの評価H自分の能力だけでなく、周りを大切にすることで回りまわって帰ってくるという側面は否定できないものである。

日本の悪いところ、良いところ

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南国愛おやじのyoutube で、マレーシアでの鉄道が予定通りの時間に動かない。そして、走行中にドアが半ドアになっていても、マレーシア人は何も気にしない。の動画にしています。  こういった細かな(?)ことにこだわらないマレーシア人に対し、ここまで緩いと私自身の顔がほころんでしまいます。これが日本なら、国土交通省から改善命令を下されるのは間違いなく、ドアが半ドアの状態で鉄道が走行したら鉄道会社の免許停止になるでしょう。  今の日本人には許容が欠けている。だから、生きづらさか充満している。さらに、ビジネスにおいては失敗を許さない事なかれ主義が蔓延っている。このため、AIやロボット等のトライ&エラーで進歩する産業では米国や中国の後塵を拝している。これだけ真面目にかかわらず国の競争力が年々低下している原因だ。日本人は間違いなく真面目のループに陥っている。これでは多くの人が生きづらさを感じるのは当然だ。そういった状況下で、マスコミを筆頭とする世論は、戦後続いた高度成長期の成功方程式をひたすら追い求めている。まさに、太平洋戦争での神風と何もかわりはない。  厳しい事を書いているが、海外にいると日本が持つ世界最高水準の衛生観念、食事の美味しさ、街の綺麗さ等の日本の良さを再発見してしまう。  そうなるとどっちが良いかは人それぞれになってしまうのであろう。