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小説 1993年海外旅行での「バラと酒」の日々

1993 年バブル崩壊による経済停滞の中でも、時代はバブルの余韻に包まれていた。この時の自己テーマは「バラと酒」の日々、それは古い映画のような言葉だが、お酒は全てを心地よくした。そしてバラを求め南国に赴く、海外に出向けば日本円の強さに圧倒される。東南アジアいけば、現地人の価格は 1/5 ~ 1/10 でしかない。とにかく何でも安すぎるのだ。なので、ちょっとした高級感の溢れる南国風のホテルに宿泊し豪華なひとときにひたる。そして、シャワーを浴びたあとの濡れた髪をそのままにし、風光明媚な風景を眺めなから朝だというのにビールを飲む。国際経済チャンネルからはアジアのマーケット情報が流れてくる。窓を開けベランダに立つと早朝なのに熱風が吹き込む。それがなんとも心地よくいとおしい。まさに、天国に一番近いところというのはまさにこのような事を指すのであろう。極上の気分に包まれている。とはいっても、若さは熱いエネルギーを欲しがるものだ。あり余る体力を武器に思いっきり遊びたくなる。楽しんで楽しみ抜いてエネルギー消耗のために無駄な時間を費やすことになる。さっそく、ビーチをぐるりと散歩し爽快な気分になった後、ビーチ沿いのテラスでホテルバイキングをゆっくりと堪能する。それが終わるとリラックスマッサージを1時間半ほど堪能する。昼食を軽めに済ませ、ビーチパラソルでゆったりうたた寝。そしてインターネットで調査作業を夕方まで行い、夜は夕食をかねてバー・レストランのパーティーで一日疲れを発散。そして力尽くまででナイトクラブで遊びきる。そんな生活を 2 か月程度つづけ、それが飽きたら中国~ベトナム~タイ~マレーシアなどをぶらり旅で 3 か月。夜はナイトパーティー、ダンスホール。すべてが嘘のような幸せの時間だった。とにかく、若いエネルギーとは、喧騒と猥雑を追い求め、そこに自分を見出して多くの精力を費やすものだ。  

フジテレビにはびこる“不適切すぎる昭和体質

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 日刊ゲンダイの記事であるが、この問題は日本の悪しき風習を物語っているようだ。  httフジテレビにはびこる“不適切すぎる昭和体質ps://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/366821  日本が先進国入りをしても、どうしても西欧諸国と追いつけないと思うところが、このフジテレビ問題に内包している。正直言ってしまえば、この問題は程度問題はあるるが多極も同じ事でしょう。形を変えたブラック企業の何物でもない。  そんな雰囲気を醸し出す。フジテレビ入社案内がアップされていた。  これを見ても前近代的な雰囲気が漂っている。30年前までどこの企業も似たり寄ったりだったのでしょうか。。。立派な大学卒の女性社員が総合職として扱わず、ひたすらアイドル的な扱いしかしなかった時代。今なら、問題になるだろう入社案内ビデオです。  そして、数年前のジャニーズ問題。細かな事はわからないが、ジャニー喜多川の洗礼を受けたものだけが、ジャニーズとしてデビューし、スターになれる。この話も三流の漫画のような世界感がある。  今は、トランプがかなり叩いているが、民主党政権と西欧の左派の政治が長くつついたため、働き方改革が叫ばれ、言えば昭和気質の職場も減ってきた。そして、男女平等も少しづつ定着してきた。  これらは、トヨタを筆頭としたグローバル企業においては死活問題であるので、日本も追随しなくてはいけない状況下にあったのは確かだ。外国人が、日本の企業で働きたくないと思うからだ。日本もあと10年もすれば昭和気質の人が労働市場から去っていく。その時には、日本においても長時間労働は過去のものになり、西欧諸国のような生活スタイルが定着することを期待したい。

小説 40年の月日が物語るオジの男やもめ

 彼は60歳の定年間近の会社員。役職は担当部長職である。周りから見たら立派なオジである。鏡を見れば老けた年相応の男がそこにいる。彼は、数十年ぶりに大学の親友とあった。そこにいた親友は大学時代とさほど変わらない時間が止まったような雰囲気を漂わせていた。二人が並ぶと10歳以上の年齢差があるようだ。聞くと、ある会社で専門職についているとのことで非常に軽い雰囲気を漂わせていた。  彼は、非常にまじめな性格であった。彼の職場ではゴリラ顔の上司が威勢をはって指揮をとっていた。当然であるが、ゴリラ上司は部下も含め多くの敵を抱えていた。部下の場合は、ゴリラ上司と合う合わないでその後の出世が決まるわけだが、彼はそういったゴリ顔の上司に好かれていた。このゴリラ顔の上司は、その上の上司の顔色をうかがう事ばかり考えて、実作業は常に右往左往していた。当然であるが、このあおりを受けるのがゴリラの部下連中であった。余りにも雑な作業の進め方に一般常識のある部下からそっぽを向かれてしまうほどの亀裂が走ることも少なくなかった。しかし、その上の上司に対するゴマすりが功を奏して、ゴリラは人事的な処罰を受けることなく順調な出世をしていた。当然であるが、このゴリラは出世の過程で自分にそぐわない部下を追い出し、ゴリラに従順な連中だけに恩賞をあたえているので、必然的にゴリラの意向に対して抵抗する部下は皆無になってしまった。  彼は、そんなゴリラ上司の右往左往の施策に対し、さしたる抵抗をせずに忠誠を尽くしていたので、そういった点ではゴリラからの評価が高く、順調な出世をしていた。時には、ゴリラのストレス解消として一緒に飲みに行かされ、聞きたくないゴリラの身の上話や仕事に対する考え方、会社の人間関係などを聞かされた。さらには、彼に対しての仕事の仕方に対しても説教というか叱咤激励などしていた。当然であるが、理路整然でない仕事で達成を求められ、ゴリラの人間的な対応も余儀なくされていたので、そのストレスは相当なもので、彼は30代で白髪が増え始め、40代ではストレス解消の酒飲みすぎがこうじて、顔が黒ずんできて立派な親父顔になってしまった。それでも、ゴリラのおかげで実力がない割には、上座の席に座って仕事をする立場になっていた。家では、土日も仕事をしているか、仕事のストレスを発散するかのどちらかであり、妻、そして子供とさえ...

映画「The BEACH」に見るハリウッドの白人至上主義の名残

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  ディカプリオの出演作品としても有名な 「The  BEACH」。しかし、今見ると テーマとなるビーチには、白人から見た南国の桃源郷が描かれているにすぎず、 東南アジア人はあくまでもエキゾチックにしか描かれてません。現地人を全くと言って無視しています。  今、このような映画を作ったら白人社会の間でも非難されるでしょう、やはり中国の台頭、そしてそれに続くインド人の台頭で、 ヨーロッパも今となっては小国の集まりです、それはイギリス、フランスに至ってもです。このため、 白人だけの世界観が共有される時代ではなくなったのです。  こういった映画を見ると、2000年までは東南アジアは、エキゾチックであり、それは日本人に対しても同様の描かれ方をしていました。一種の白人優勢の植民地時代の名残が残っているのが感じられます。

海外も長くいると飽きてくる

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 日本が嫌で海外に出ても。長く住んでいればそこが日常になって飽きてくる。旅というのは結局のところ日常の物足りなさを埋めるツールにしかすぎません。  そういったことを二つの動画から垣間見れます。 一つは、こばとらさんの動画    動画の28分ごろから、「平凡な日常こそ最高の幸せ」と述べております。こばとらさんは世界一周など様々な海外旅行記をアップしてきましたが、そろそろ目新しさなくなり飽きてきたのでしょう。  もう一つの動画は、「南国愛おやじ」さんの以下の動画です。  南国愛おやじさんは、海外移住して初めの1~2年はマレーシアを楽しんでいたが、その後はマンネリ化してくるものです。大抵の人は、その頃に日本に帰国します。逆に、マンネリ化した後でも満喫できるなら、本当意味でその国の生活と相性がよいということになります。 、

ハードルが高くなり過ぎたシニアの海外移住

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  日本円が強かった時代。シニアの楽しみの選択肢の一つに海外移住があった。リタイア後は東南アジアでのんびり優雅な年金生活をおくりたい。20年前にはそれは十分すぎるくらい可能な選択肢であった。そして強い円の時代に多感な青春をおくった40代~50代にいまだにそんな夢を追いかけている人も少なくないであろう。  しかし、それも夢となって散ってしまいそうだ。そういった点で興味深いブログに遭遇した。 定年後の過ごし方とロングステイ・世界遺産の旅 2015 http://www.tt.em-net.ne.jp/~soy7686/index.html この記事はコロナ前であるが、最後のほうになるとシニア生活がスムーズにいかなくなってくる様子も描写されている。現地のインフレ(物価高)が生活を圧迫し始めてきたのだ。ブログ記事においても以下の言及がある。 「これらを踏まえて考えると、一般的なサラリーマンの公的年金だけでは、定年後の海外ロングステイはかなり難しくなってきます。 確かに、アジアの一部の国・地域では家賃・食費は安いのですが、生活費全体に占める割合は大したものではなく、定年後の 豊かな夫婦二人の生活でもっともかかるのは、「夫小遣い」・「妻小遣い」・「教養娯楽費」 なのです。」  このブログ記事はコロナ以前です。今はコロナ以降の世界での強烈なインフレと円安でシニアの海外移住は、娯楽費どころか家賃や食費ですら窮するようになってきたのです。相当なたくわえがないと20年前のような海外生活は出来なくなりました。  日本国が貧乏になり日本人の楽しみがまた一つ減っていく。しかし、これは現在進行形です。かつての強い円を知っている世代からすると、憤りのないやるせなさに包まれます。