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7月, 2025の投稿を表示しています

フィルターなしのインドの現状を知ろう

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  インドの本当の姿を知る上で非常に有能な動画です。参考になります。インドの生の状況をフィルターなしで紹介していることに感謝します。    一般的なインドの労働者の状況をフィルターなしで知ることができます。

小説 戦国時代へのタイムスリップ

 新幹線の心地よい揺れに身を任せ、彼はうとうとしていた。まどろみの中で意識が遠のき、やがて目を開けると、車窓の外の風景は一変していた。見慣れぬ田園風景、遠くに見えるのは時代劇でしか見たことのないような城下町。道行く人々は同じ日本語を話すものの、その言葉遣いは古めかしい。まさか、自分は過去にタイムスリップしたのか――そんな疑念が頭をよぎったが、どうやらそれは現実らしい。 一体、ここはいつの時代なのか。彼は道行く町人に、この地の殿様を尋ねた。町人はぶっきらぼうに「家康様よ」と答える。どうやら、ここは戦国時代、それも徳川家康が治める三河の地らしい。これは夢だ、そう思って自分の足を棒で叩いてみたが、鈍い痛みが走る。夢ではない。何が起こったのか。呆然と街を歩く彼の奇妙な服装に、人々は好奇の目を向けてざわついた。 その日の宿もなく、手持ちの金もない。彼は困り果て、ふと手元の万年筆とノートを売ることを思いついた。立派な店構えの問屋に入ると、店の主人は彼の格好に訝しげな視線を投げかけた。しかし、彼が万年筆を取り出し、さらさらとノートに「山」という文字を書いて見せると、主人の顔色が変わった。「これは一体、どこから仕入れたものだ? 南蛮品でもこれほど上等な物はないぞ!」 主人は小判を一枚差し出し、「これでどうかね?」と持ちかけたが、彼は首を振って立ち去ろうとした。よほど欲しかったのだろう、主人は慌てて小判を五枚に増やして差し出す。その申し出を受け、万年筆とノートを差し出そうとすると、主人はさらに彼の持っていたバッグまで欲しがった。そして追加で小判十枚を提示する。目の前の小判十五枚は、当面の生活資金としては十分すぎる額だった。彼はその場で商談を成立させ、懐に小判を忍ばせると、すぐさま近くの店で時代に合った着物を購入し、三河の街へと溶け込んでいった。 未来からの「予言者」 宿に滞在していると、奇妙な噂を聞きつけた侍が彼を捕らえにやってきた。不審人物として牢に入れられた彼だが、その「変な噂」に興味を抱いた家康が、彼との対面を望んだ。「お前はどこから来たのだ?」と家康が問うと、彼は未来から来たと答えた。「ならば、これから起こる未来を申してみよ」と家康は迫る。 彼は意を決して言った。「信長様は近いうちに美濃を平定し、その地を岐阜と名付けます。」 「では、将軍公はどうなる?」と家康が問う。...

ビートルズの伝記から考える:記憶の曖昧さと解釈の限界

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 ビートルズに関する伝記や評論は数多く存在し、半世紀も前の彼らの出来事や行動が多角的に分析されています。しかし、彼らのメンバーで存命なのはポールとリンゴだけになった今、ふと考えることがあります。半世紀も前の一瞬の出来事について尋ねられたとして、本人たちは果たしてどこまで覚えているだろうか、と。 私たちの日常でもそうですが、人の行動や感情は、ある意味で 突発的 なものです。その場の雰囲気で発した言動も少なくありません。それら一つひとつに、常に明確な論理性があるわけではないのです。 この話は抽象的に聞こえるかもしれませんが、私自身の経験に置き換えれば理解しやすいでしょう。小学生時代の出来事を全て詳細に覚えているわけではありません。野球や水泳の大会での苦しい練習や仲間との葛藤は記憶に残っていても、時間が経つにつれて、その時の感情とは異なる感情が残ることもあります。 このことをポール・マッカートニーに当てはめてみましょう。ジョン・レノンとの様々なやり取りも、今となっては懐かしい思い出かもしれません。伝記に書かれている感情は、当時の関係者の発言をもとに多角的に分析されたものですが、ポール自身にとって、伝記に記されているような深い思いからくる行動はごくわずかで、ほとんどは その場の流れ による出来事だったのではないでしょうか。さらに言えば、伝記で強調されている感情表現も、ある意味で誇張されており、今となってはそうした記憶や感情自体が薄れている可能性も十分に考えられます。 そう考えると、伝記などにおいて主人公の思いを深く洞察しようとすることは、ある意味で**「空(くう)」**を模索するようなものかもしれません。深く考えすぎても、必ずしも真実にはたどり着けない、とも言えるのではないでしょうか。