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「伯爵と呼ばれる男」に見るポジティブ思考の源泉

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「男爵と呼ばれる」この男は、裕福な親のもとに生まれ、これまで一度も就職して働くことなく50代後半まで生きてきた。 しかし、引きこもりというわけではなく、和歌を楽しむなど文化的な活動に勤しむ、いわば(古典的な)教養をたしなむ文化人でもあった。こういった人は、本来なら大学の教員や高校の社会科教師、又は団体職員など職につきながら、自分の得意分野を追究するものだが、この人はそういった道を選ばなかった。  「男爵と呼ばれる」この男は、裕福な親のもとに生まれ、これまで一度も就職して働くことなく50代後半まで生きてきた。 しかし、引きこもりというわけではなく、和歌を楽しむなど文化的な活動に勤しむ、いわば(古典的な)教養をたしなむ文化人でもあった。こういった人は、本来なら大学の教員や高校の社会科教師、又は団体職員など職につきながら、自分の得意分野を追究するものだが、この人はそういった道を選ばなかった。 私がこの人を見て、ポジティブシンキングというものを教えられたような気がしてならないことだ。そして、その源流には親の存在があると感じる。 男爵がアルバイトに何度も落ちたことを親に相談すると、親はまず男爵の言語能力の高さを褒め、アルバイトについては「何度落ちたとしても、その過程で知り合った人から様々な事を学んでいけば、やがては自分に合った環境に出会うことができる」と諭している。 もし、これが一般家庭なら、親は半分呆れた態度をしながら「今まで働いてこなかった報いだ」と一蹴するだろう。その点、裕福で名家の血を引く親だからこそ、文化的な面での子供の才能を冷静に評価し、褒めることができたようにも感じる。今の時代は、どんな名家であっても経済的な才能がなければ公団アパートでひっそりと生活するしかない時代。お金がないと生きずらい世の中であるのは、商社出身で海外を舞台に仕事をしていた父が知らない事ではない。 この点は、私などの凡人には理解しがたい「有閑階級の極み」を見せつけられたようにさえ思ってしまう。 正直、私はこの人物や父親について、まだ十分に理解できていない(消化不良だ)。それだけ異次元な感性の持ち主であるからだ。しかし、そのポジティブな考え方には学ぶべきところがある。現代日本においては、これだけのポジティブさを兼ね備えられたら、日常生活をどれだけ楽しく、有意義に過ごせるのかと思ってしまう...